改訂新版 世界大百科事典 「ピール銀行法」の意味・わかりやすい解説
ピール銀行法 (ピールぎんこうほう)
Peel's Bank Act
1844年7月制定のイングランド銀行特許(更新)法Bank Charter Actのことで,時の首相R.ピールにちなんでピール銀行法と通称されている。ピール銀行条令ともいわれる。産業革命とともに本格化した貨幣・金融制度のあり方をめぐる論争(地金論争,通貨論争)と一連の銀行改革を総括したともいえる法律で,イングランド銀行の中央発券銀行としての地位を明確に定め,その銀行券発行のルールを規定した立法として,その後のイギリス経済はもとより,世界経済の発展にも重要な影響を与えている。
ピール銀行法は,1833年法を再確認してイングランド銀行券を法定通貨とすると同時に,既存地方発券銀行の発券限度額を制限し,また新規発券銀行の設立を認めないものと定めることによって,銀行券の発行をイングランド銀行に集中する単一発券制度への道を指し示した。そのうえで同法は,イングランド銀行の機構を改正し,同行を発行部Issue Departmentと銀行部Banking Departmentに二分した。こうして通貨管理の機能を一般銀行業務から分離し,後者については自由な営業を認める反面,前者に関しては〈窮屈なチョッキ〉を銀行当局に課することによって,銀行券の過剰発行(および過剰発行を原因とすると考えられていた恐慌の到来)を防止しようと企てられたのである。
すなわち,イングランド銀行(発行部)は1400万ポンドを限度として証券(主として国債)を担保とする保証準備発行を許されたが,それ以上の発券にさいしては100%の金属準備(3/4以上は金貨または金地金)を義務づけられることになった。こうしてイギリスは,金属準備に厳しく拘束される発券メカニズム(保証準備発行額直接制限制度)のもとにおかれることになり,発券に関する銀行当局の自由裁量の余地は原則的に否定された。それは,純粋な金属通貨の流通を理想と考え,金属通貨と銀行券が併存する混合通貨制度のもとでは,銀行券の発行は通貨総量の変動が純粋金属流通のもとでのその変動と一致するように管理されるべきであり,したがって金の流出入に対応して発券量は自動的に調節されるべきであると説く通貨主義(〈通貨主義・銀行主義〉の項参照)の主張を具体化したものであった。
通貨学派はこれによって過剰発行と恐慌を防止できると考えたのであったが,現実にはイギリスはその後も1847年,57年,66年と周期的に恐慌に見舞われ,しかもピール銀行法の存在は,恐慌時に国内では支払手段としての銀行券の需要が高まるにもかかわらず,地金の対外流出に対応してその供給を厳しく制限するよう求めるものであったから,恐慌をむしろ激化させる要因であった。事実,これらの恐慌および1914年の恐慌にさいしては,同法の発行規定を一時停止して限外保証発行を認可する措置がとられ,またそれをきっかけとして皮肉にも恐慌は打開されている。
1928年の通貨・銀行券法Currency and Bank Notes Actによって,イングランド銀行の保証準備発行限度額が2億6000万ポンドに引き上げられるとともに,この限度額は大蔵省の同意を得て6ヵ月を限度として拡張されうるものと改められ,ピール銀行法の発券規定は屈伸制限制度にとって代わられることになった。
ピール銀行法が硬直的な発行規定の欠陥にもかかわらず長期間維持されたのは,同法が個別資本の盲目的な過剰蓄積を規制しようとする〈総資本〉的政策に適合的な面をもったからであり,また,イギリスが諸外国に対して為替安定を犠牲にするような成長通貨の優先供給を行わせないためにも,イギリスみずからがピール銀行法の厳格な発券規定を守ることが有効だったからである。ピール銀行法は,保証発行直接制限制という具体的な姿で金本位制をイギリスに定着させ,こうして諸外国をも漸次国際金本位制の網の中に引き入れる布石として機能したのである。
執筆者:関口 尚志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報