改訂新版 世界大百科事典 「過激社会運動取締法案」の意味・わかりやすい解説
過激社会運動取締法案 (かげきしゃかいうんどうとりしまりほうあん)
第1次世界大戦後の新たな社会運動の高揚に対し,治安対策の整備強化のため,1922年2月高橋是清内閣が貴族院に提出した法案。その内容は,無政府主義,共産主義など〈朝憲を紊乱(びんらん)する〉事項を宣伝しまたは宣伝しようとしたものは7年以下,そのための結社・集会・運動については10年以下,社会の根本組織を暴力的手段で変革することを宣伝しまたは宣伝しようとしたものは5年以下の懲役または禁錮に処す,というものであった。提案理由は〈近来わが国において外国同志と相提携して過激主義の宣伝をなさんとする者ようやく多く,しかも取締法不十分〉とされているが,提案に先立つ1921年5月,近藤栄蔵の上海でのコミンテルン極東委員会出席,資金受領が発覚したことや12月1日の暁民共産党事件などが直接のきっかけであった。この法案に対し,社会主義者よりも学者や法曹関係者,過激法案反対新聞同盟に結集した新聞人の抵抗がつよく,貴族院では修正可決されたが,衆議院では審議未了となった。次の加藤友三郎内閣も,22年末に開幕した第46議会に同法案を労働組合法案,小作争議調停法案とともに上程しようとしたが,今度は労働組合が中心になって〈三悪法反対〉運動を展開し,その上程を阻止した。同法案の企図は,25年の治安維持法で実現された。
執筆者:岡本 宏
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