近藤栄蔵(読み)コンドウ エイゾウ

20世紀日本人名事典 「近藤栄蔵」の解説

近藤 栄蔵
コンドウ エイゾウ

大正・昭和期の社会運動家 全国戦災者事業団理事長;春陽会理事長。



生年
明治16(1883)年2月5日

没年
昭和40(1965)年7月3日

出生地
東京・小石川諏訪町

学歴〔年〕
カリフォルニア農学校(米国)卒

経歴
薬屋丁稚奉公の後、明治35年渡米、苦学して農学校を卒業。43年帰国して貿易商を営んだが、大正9年再び渡米、片山潜に会って革命宣伝連盟に入会。8年帰国。10年大杉栄らの週刊「労働運動」に参加。同年上海コミンテルン極東部委員会に出席、帰途下関で検挙された。同年8月「暁民共産党結成に参加、委員長。12年6月の第1次共産党事件の寸前ソ連亡命。13年プロフィンテルン常任委員。15年帰国後は共産党と離れ、昭和3年日本労農党・日本大衆党に参加、国家社会主義運動へ転向戦後は21年全国戦災者事業団を組職して理事長、28年社会福祉法人春陽会理事長に就任、社会福祉事業に専念した。著書に「コミンテルンの密使」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「近藤栄蔵」の意味・わかりやすい解説

近藤栄蔵 (こんどうえいぞう)
生没年:1883-1965(明治16-昭和40)

大正・昭和期の社会運動家。東京で官吏次男として出生。高等小学校卒業後1902年に渡米。苦学して農学校を卒業し,10年に帰国。16-19年再度の滞米生活で片山潜の知己を得る。帰国後,神戸で靴屋を開業するかたわら,荒畑寒村,山川均に協力をする。21年初めに上京して大杉栄らの《労働運動》復刊に加わり,アナ・ボル提携をはかりつつ,日本共産党結成に参画し,その宣言・規約を上海のコミンテルン代表に届ける。暁民共産党事件に遭うが,翌年7月の党創立大会で中央委員。23年6月~26年11月,ソ連に滞在。プロフィンテルン第3回大会で執行部に選出され,谷の署名論文を執筆する。ブハーリン派に属す。帰国後は共産党との関係を断ち,日本労農党などを経て,満州事変を機に国家社会主義へ転向。戦後,公職追放となり,以後社会事業に尽力し,46年全国戦災者同盟,53年社会福祉法人春陽会を組織する。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近藤栄蔵」の意味・わかりやすい解説

近藤栄蔵
こんどうえいぞう
(1883―1965)

社会運動家。東京市生まれ。小学校卒業後、薬屋に丁稚(でっち)奉公。19歳で渡米、働きながらカリフォルニア農学校を卒業。1910年(明治43)帰国するが、13年(大正2)以後も三度渡米。滞米中に片山潜(せん)と知り合い社会主義運動に入る。日本共産党結成を企図して19年に帰国。21年5月、上海(シャンハイ)のコミンテルン極東部委員会に日本代表として出席するが、帰途下関(しものせき)で検挙。釈放後8月、高津正道(たかつせいどう)ら暁民会(ぎょうみんかい)のメンバーと「暁民共産党」を結成。22年7月日本共産党創立に参加。23年6月第一次共産党事件の直前にソ連に亡命、プロフィンテルン常任委員となる。26年帰国ののち、日本共産党との関係を絶ち、28年(昭和3)日本労農党、日本大衆党に参加。その後、国家社会主義に転向、32年には下中弥三郎(しもなかやさぶろう)らと新日本国民同盟を結成。戦後は全国戦災者事業団を組織、身体障害者福祉事業に力を注いだ。一貫して理論よりも運動を重視し、また人間の生命的・身体的な側面をより尊重した。

[北河賢三]

『同志社大学人文科学研究所編『近藤栄蔵自伝』(1970・ひえい書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤栄蔵」の解説

近藤栄蔵 こんどう-えいぞう

1883-1965 大正-昭和時代の社会運動家。
明治16年2月5日生まれ。アメリカで片山潜を知る。大正10年コミンテルン極東委員会日本代表。翌年日本共産党創立に参加し,12年ソ連に亡命。帰国後の昭和6年国家社会主義への転向を表明した。昭和40年7月3日死去。82歳。東京出身。カリフォルニア農学校卒。著作に「コムミンテルンの密使」など。

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367日誕生日大事典 「近藤栄蔵」の解説

近藤 栄蔵 (こんどう えいぞう)

生年月日:1883年2月5日
大正時代;昭和時代の社会運動家。全国戦災者事業団理事長;春陽会理事長
1965年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の近藤栄蔵の言及

【過激社会運動取締法案】より

…その内容は,無政府主義,共産主義など〈朝憲を紊乱(びんらん)する〉事項を宣伝しまたは宣伝しようとしたものは7年以下,そのための結社・集会・運動については10年以下,社会の根本組織を暴力的手段で変革することを宣伝しまたは宣伝しようとしたものは5年以下の懲役または禁錮に処す,というものであった。提案理由は〈近来わが国において外国同志と相提携して過激主義の宣伝をなさんとする者ようやく多く,しかも取締法不十分〉とされているが,提案に先立つ1921年5月,近藤栄蔵の上海でのコミンテルン極東委員会出席,資金受領が発覚したことや12月1日の暁民共産党事件などが直接のきっかけであった。この法案に対し,社会主義者よりも学者や法曹関係者,過激法案反対新聞同盟に結集した新聞人の抵抗がつよく,貴族院では修正可決されたが,衆議院では審議未了となった。…

【暁民共産党事件】より

…1921年近藤栄蔵や暁民会,赤瀾会有志らが,治安警察法および出版法違反で検挙された事件。軍隊赤化事件ともいう。…

※「近藤栄蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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