精選版 日本国語大辞典 「道璿」の意味・読み・例文・類語
どうせん ダウセン【道璿】
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中国の僧。河南省許州に生まれる。姓は衛氏。のち洛陽(らくよう)の大福先寺の定賓(じょうひん)に受戒し律に通じる。ついで普寂(ふじゃく)(651―739)から禅・華厳(けごん)を学ぶ。733年(天平5)に日本僧栄叡(ようえい)(生没年不詳)、普照(ふしょう)(生没年不詳)が入唐(にっとう)し、道璿に日本へ戒律を伝えることを懇請。インドの菩提僊那(ぼだいせんな)、林邑(りんゆう)(インドシナ半島南東にあった国)の仏哲(ぶってつ)と遣唐船で来朝、736年5月大宰府(だざいふ)着。奈良・大安寺西唐院で律や『梵網経(ぼんもうきょう)』を講じ、多くの日本僧に授戒した。晩年、突然吉野の比蘇(ひそ)寺に引退。当時の僧の山岳隠棲(いんせい)を促した。『註(ちゅう)梵網経』『四季追福文』などを著す。
[木内曉央 2017年3月21日]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
… 752年4月9日の法会には,天皇,上皇,皇太后以下多くの官人が参列し,1万人の僧尼を招いて盛大な開眼供養が行われた。開眼導師にはインドの帰化僧バラモン・ボジセンナ(菩提僊那(ぼだいせんな)),講師に隆尊,読師に延福,咒願師に唐僧道璿(どうせん)が起用され,行基の弟子景静は都講となり法会を総括した。ボジセンナの用いた筆墨は現に正倉院に伝わり,参集の人々とともに開眼に擬した開眼縷も伝わっている。…
※「道璿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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