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那彦成 なげんせいNa Yan-cheng; Na Yen-chêng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

那彦成
なげんせい
Na Yan-cheng; Na Yen-chêng

[生]乾隆29(1764)
[没]道光13(1833)
中国,清朝中期の官僚。ジヤンギヤ (章佳) 氏出身の正白旗満州旗人。字は韶九。号は繹堂,東甫,更生。諡は文毅。乾隆朝の名将阿桂の孫。乾隆 54 (1789) 年に進士となり,内閣学士,工部尚書兼都統内務府大臣などを歴任。嘉慶朝初めの白蓮教の乱の鎮圧に欽差大臣,参賛大臣として参加し戦功があったが,軍事上に失敗があったと下されて翰林院侍講となった。嘉慶8 (1803) 年に天地会 (→三合会 ) の反乱を平定,礼部尚書,軍機大臣,陝甘総督,両広総督を歴任したが,広東で投降した土匪の処遇を問われてイリ (伊犂) 領隊大臣に左遷され,青海の平定を行なって南河副総河の地位に復したが,治水の失敗から二等侍衛に降等。同 12年カラシャフル・ヤルカンド弁事大臣,カシュガル参賛大臣を歴任して再び陝甘総督に復し,天理教の乱の鎮圧の功で三等子爵,太子太保となったが,同 21年に陝甘総督時代の賑恤銀乱用を問われ,再びイリに送られることとなったが母の喪にあたり免じられ,同 23年に理藩院,吏部・刑部尚書,内大臣などを歴任した。道光帝即位ののちに陝甘総督,直隷総督を歴任し,新疆の治政に努めて太子太保を授けられたが,道光 10 (30) 年の新疆の反乱でその治政の失敗を問われ,再び官職を剥奪され,そのまま没した。道光帝は生前の功により功臣として名誉を回復した。その著書に『平蕃奏議』 (4巻) ,『阿文成公奏議』 (34巻) があり,のちに『那文成公奏議』 (80巻) が編纂された。

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