野狐禅(読み)ヤコゼン

デジタル大辞泉 「野狐禅」の意味・読み・例文・類語

やこ‐ぜん【野×狐禅】

禅の修行者が、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれること。転じて、物事を生かじりして、知ったような顔でうぬぼれること。また、その者。生禅なまぜん
[類語]増上慢唯我独尊夜郎自大遼東のいのこ雪駄の土用干し天狗てんぐになる道を聞くこと百にして己にく者しと為す

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精選版 日本国語大辞典 「野狐禅」の意味・読み・例文・類語

やこ‐ぜん【野狐禅】

  1. 〘 名詞 〙 仏語。禅をおさめる人が、まださとってもいないのに、さとったつもりになってうぬぼれること。転じて一般に、生かじりでうぬぼれること。また、その者。野狐生禅(なまぜん)
    1. [初出の実例]「波曰、叟我をあざむきて、野狐禅に引ことなかれ」(出典:俳諧・春泥句集(1777)序)
    2. [その他の文献]〔蘇軾‐常州太平寺法華院薝蔔亭酔題詩〕

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故事成語を知る辞典 「野狐禅」の解説

野狐禅

いい加減な理解しかしていないのに、本質を理解していると思い込んでいることを指すことば。また、そういう人をいうことば。

[使用例] また無為てんたんの野狐禅や天を仰いでいたずらに空理を論ずるのやからを出すことも元よりの任でない[留岡幸助*人生は恰も一大葡萄園の如し|1933]

[由来] 八~九世紀、唐王朝の時代の禅僧ひゃくじょうかいにまつわるエピソードから。百丈懐海の説法を、いつも聞きに来ている老人がいました。ある日のこと、聴衆がみんな帰ったあとも、この老人は居残っています。不審に思った百丈懐海が話しかけると、老人は、「私はかつて、中途半端にしか悟っていなかったため、野ギツネの境涯へと落ち、そこから逃れられないでいる修行者なのです」と語りました。そこで、百丈懐海がこの老人を真の悟りへと導くと、老人は、「これで野ギツネの状態から解放されました。亡きがらは裏山に留めておきます」と言い残して姿を消しました。その後、百丈懐海は裏山で野ギツネの死骸を探し出し、手厚く葬ってやった、ということです。この話は、「無門関―二」によって伝えられて、知られています。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野狐禅」の意味・わかりやすい解説

野狐禅
やこぜん

禅宗用語。野狐とは「のぎつね」の精のこと。悟っていないのにいかにも悟ったふりをして人を欺き,奇異な言動をする禅の修行者のこと。「百丈野狐」は禅の公案にある。

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