デジタル大辞泉
「遼東の豕」の意味・読み・例文・類語
りょうとう‐の‐いのこ〔レウトウ‐ゐのこ〕【×遼東の×豕】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
りょうとう【遼東】 の 豕(いのこ)
- ( 「後漢書‐朱浮伝」の「往時遼東有レ豕、生レ子白頭異而、献レ之、行至二河東一見二群豕一皆白、懐レ慙而還、若以二子之功一論二於朝廷一、則為二遼東豕一也」の故事による ) 見聞が狭いため、世間にありふれていることを知らず、自分一人で得意になっていることのたとえ。〔明衡往来(11C中か)〕
- [初出の実例]「是をならべて七景とはなせりけり。さるはいとをこがましく、遼東の豕にも似たれど、賞心は必しも山水の奇絶にもよらじ」(出典:俳諧・鶉衣(1727‐79)続)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
遼東の豕
見聞が狭いため、世間並みのことを特別だと思い、自慢することのたとえ。
[使用例] その彼が、結局自分も彼等と同じ能力の所有者だったと云う事を、そうして更に厭う可き遼東の豕だったと云う事は、どうして安々と認められよう[芥川龍之介*戯作三昧|1917]
[使用例] 尤も今では春秋の気候の好い時節には、松本市の中学校や女学校で生徒の遠足地としてよく登山するそうであるから、或は遼東の豕たる譏を免かれないかも知れぬ[木暮理太郎*美ヶ原|1921]
[由来] 「[後漢書]―朱浮伝」に載っている話から。一世紀の中国、後漢王朝が創建されて間もないころのこと。現在の北京のあたりを統治していた将軍の朱浮は、自分に対する反乱を起こした部下の彭寵に次のような手紙を送って、その行動を非難しました。「昔、遼東(現在の遼寧省)の豕(豚)が、頭の白い子を生んだことがあった。飼い主はこれを珍しいと思い、お上に献上しようと洛陽の都の近くまで来てみたら、そのあたりの豕は皆白かった。そこで、この男は恥ずかしくなって引き返したそうだ。おまえさんのこれまでの功績など、皇帝の前に出れば『遼東の豕』のようなものさ」。この手紙を読んだ彭寵は激怒し、朱浮を猛攻撃。結局、朱浮は命からがら逃げ出すはめに陥っています。
[解説] 朱浮は、後漢王朝の創建に功績を挙げた人物。文才も豊かで、この手紙も、六世紀に編まれた歴代の名文集「[文選]」にも収録されています。しかし、人間的には欠点も多かったようで、この後も、何度か問題を引き起こしています。他人を「遼東の豕」呼ばわりする人は、本人がまず見識を改めないといけないのかもしれません。
〔異形〕遼東の豚。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
Sponserd by 
遼東の豕
りょうとうのいのこ
本人がひどく得意でも、ほかからみればいっこうにつまらないことのたとえで、世間知らずで一人よがりの慢心をいう。遼東は中国、遼寧省南部をいう。後漢(ごかん)の光武帝のとき、幽州の牧朱孚(ぼくしゅふ)が、功を誇って反乱を企てた漁陽の大守彭寵(ほうちょう)に、「昔、遼東で豕が白い頭の子を生んだ。珍しいことなので献上しようと思い、河東へ行くと、そこの豕はみな白かったので、恥ずかしい思いをして帰った」とのたとえを引いて、彭の功が宮廷の場ではなんの価値もないことを戒めた、と伝える『後漢書』「朱孚伝」の故事による。
[田所義行]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 