金泉寺(読み)きんせんじ

日本歴史地名大系 「金泉寺」の解説

金泉寺
きんせんじ

[現在地名]高来町善住寺名

多良たら岳の山頂部にある。太良岳山福聚院と号し、高野山真言宗。本尊は不動明王。和銅年間(七〇八―七一五)行基により太郎嶽大権現(太良岳三社大権現、現佐賀県太良町太良岳神社)が開創され、のち空海が本尊を刻んで当寺を創立して大権現の神宮寺としたと伝える(「太良岳縁起」医王寺蔵、「肥前古跡縁起」)。当寺は大権現とともに真言密教の霊地として信仰を集め、文明年間(一四六九―八七)大村純伊の三男阿音が中興、大村の池田いけだに下宮として富松とみまつ社、里坊として富松山千乗せんじよう(いずれも現大村市)を創建したとされるのをはじめ、山麓高来たかく郡・藤津ふじつ郡・彼杵そのき郡の一帯に七〇余の末寺があったという。

金泉寺
こんせんじ

[現在地名]板野町大寺

かめ山の山麓にある。亀光山と号し、高野山真言宗。本尊は釈迦如来四国霊場八十八ヵ所第三番札所。御詠歌は「極楽のたからのいけをおもへただこがねのいづミすミたゝへたり」。寺伝によると奈良時代に板野郡衙の経営する定額寺として創建され金光明こんこうみよう寺と称していたという。大寺おおてら村の村名も当寺に由来するとされる(板野郡誌)。現境内の方丈前庭や本堂から東にかけての広範囲で古瓦が出土し、天平期(七二九―七四九)の軒丸瓦をはじめ数種の奈良時代の瓦が出土していることから、当寺が定額寺であったとする寺伝がある程度裏付けられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「金泉寺」の解説

金泉(こんせん)寺

徳島県板野郡板野町、亀山の麓に位置する寺院。高野山真言宗。山号は亀光山、本尊は釈迦如来。奈良時代の創建と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第3番札所。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の金泉寺の言及

【多良岳】より

…しかし全体として古い火山であり,噴火の記録はなく,火山活動のなごりとしては北方山麓に嬉野(うれしの)温泉(重曹泉,92℃)があるのみである。多良岳は古くから修験道場として栄えた山であり,その面影を残す山頂の金泉寺は行基の開基と伝える。【小林 哲夫】。…

【板野[町]】より

…山麓には県指定史跡の愛宕山古墳をはじめ遺跡が散在する。四国八十八ヵ所3番札所金泉寺,4番大日寺,5番地蔵寺がある。高徳線板野駅から鍛冶屋原線が分岐していたが,1972年に廃された。…

※「金泉寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android