金田龍之介(読み)カネダ リュウノスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「金田龍之介」の解説

金田 龍之介
カネダ リュウノスケ


職業
俳優

生年月日
昭和3年 6月15日

出生地
東京市 本所区松坂町(東京都墨田区)

出身地
大阪府

学歴
都島工業専門学校(大阪市立大学)〔昭和24年〕卒

経歴
東京で生まれ、2歳で大阪に移る。父は興行師で、5歳の時に大阪天満宮八千代座で初舞台を踏む。都島工業専門学校(大阪市立大学)に進み、学生演劇にも参加。卒業後はピアス化粧品本舗の宣伝部員の傍ら演劇修業に励み、青猫座、五月座を経て、矢車座に客演した際に武智鉄二と知り合い、昭和31年その推薦上京劇団新派に入り、伊志井寛師事。同年舞台「赤線地帯」に初出演。43年「悪名十八番」で映画デビュー。58年「滝沢家の女たち」で菊田一夫演劇賞。59年母を失くした後、只野操脚本の一人芝居「円空」に取り組んだ。若い頃は二枚目だったが、45年頃より存在感のある役に合うように意識して100キロまで体重を増やし、凄みのある悪役から実直な善人まで、幅広く演じる名脇役として作品を支えた。3代目市川猿之助のスーパー歌舞伎の常連でもあり、「新・三国志II」「新・三国志III」の軍師・司馬仲達は当たり役で、20年8月、21世紀歌舞伎組「新・水滸伝」が最後の舞台となった。糖尿病のため人工透析に通いながら仕事を続けていたが、21年足の爪を切った際に深爪してそこから雑菌が入り入院、間もなく容態が急変し、80歳で亡くなった。主な出演作に映画「博徒一代 血祭り不動」「華麗なる一族」「犬神家の一族」「青春の門」「戦場メリークリスマス」「交渉人 真下正義」、テレビ「赤穂浪士」「天と地と」「水戸黄門」「国盗り物語」「独眼竜政宗」「鬼平犯科帳」「春日局」「秀吉」「葵 徳川三代」「コメディーお江戸でござる」、舞台「王女メディア」「マイ・フェア・レディ」「サラ」など。著書に「四十四年目の役者」「ちょっとやれないヨーロッパで2度も芝居をやってきた」がある。

受賞
菊田一夫演劇賞〔昭和58年〕「滝沢家の女たち」,日本放送作家協会賞男優賞,松尾芸能賞(優秀賞 第25回)〔平成16年〕

没年月日
平成21年 3月31日 (2009年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

百科事典マイペディア 「金田龍之介」の意味・わかりやすい解説

金田龍之介【かねだりゅうのすけ】

俳優。1956年劇団新派に入団。伊志井寛に師事。1968年《悪名十八番》で映画デビュー,同じく68年にNHKテレビドラマ《流れ雲》で主役の浪曲師梅中軒鶯童を好演して注目された。以後,テレビドラマを中心に名脇役としての地位を確立,90年代にはシェークスピア作品などの舞台上演にも参加し多彩な俳優活動を続けた。

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