金碧障屏画(読み)きんぺきしょうへいが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金碧障屏画」の意味・わかりやすい解説

金碧障屏画
きんぺきしょうへいが

画面に金箔を貼り濃彩を施した障屏画。室町時代に成立し桃山時代~江戸時代初期に盛んに制作された。 15世紀の史料に金屏風の語がみえ,『慕帰絵』の第1巻 (1482) には金屏風と金碧画が描かれている。室町時代のやまと絵の金屏風には『日月山水図』 (金剛寺,東京国立博物館) ,『松林図』 (伝土佐光信画,東京国立博物館) ,『花鳥図』 (伝狩野永徳画,白鶴美術館) などがある。桃山時代に狩野永徳は安土城,大坂城,聚楽第にさまざまな主題の金碧画を描いて隆盛契機となった。永徳の遺品として『洛中洛外図屏風』 (上杉家) ,『唐獅子図屏風』 (宮内庁) などが著名。同じ桃山時代に長谷川派は長谷川等伯を中心として智積院の『桜楓図』,禅林寺の『波濤図』などで華麗な技法をみせ,水墨画で知られる海北友松や雲谷等顔も『花卉図屏風』 (妙心寺) や『梅に鴉図』 (京都国立博物館) を描いた。やまと絵のものには土佐派の『源氏物語図』や『関ヶ原合戦図屏風』がある。宗達派は画面全体を金地とし,俵屋宗達の『源氏物語関屋・澪標 (みおつくし) 図』『舞楽図』『風神雷神図』などが著名。江戸時代中期以後の代表作としては,尾形光琳の『燕子花 (かきつばた) 図屏風』『紅白梅図屏風』があげられる。ほかに南画家池大雅与謝蕪村も金碧画を描き,円山応挙伊藤若冲も金地の襖に描いている。また明治以後現代まで,多くの画家が金碧障屏画を制作している。

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