桃山~江戸時代の漢画派。長谷川等伯を祖とし,江戸初期までは画家名,作品とも知られているが,中期以降のことはあまり明らかでない。初代等伯とその子久蔵は,法華宗関係の仏画,肖像画,障壁画等のほか,禅宗関係の水墨画,頂相(ちんぞう),障壁画等にも腕を振るい,狩野派,海北派,雲谷派,曾我派と並び称された。大ぶりで豪華な桃山の金碧障屛画(きんぺきしようへいが)の中で,ひときわのびやかなフォルムと明快な色彩,金地感覚を表し,法華関係者や町衆に受け入れられたのみならず,公卿・武家の需要にも応ずる広い画作の幅を持っていた。等伯,久蔵が一門を率いて制作した祥雲禅寺旧蔵の《楓図襖》《桜図襖》(ともに,智積院)のほか,醍醐寺三宝院,妙蓮寺,禅林寺等に桃山~江戸初期の長谷川一門の画跡が残る。また等伯の子には久蔵のほかに宗宅,左近,宗也があり,左近筆《牧牛・野馬図屛風》(ボストン美術館),宗宅筆《秋草図屛風》(南禅寺),宗也筆《大黒布袋角力図扁額》(八坂神社),《柳橋水車図屛風》等の作がある。なお,等伯の門人長谷川宗圜(そうえん),等彝(とうい)も有力画家で,宗圜には《藤花・牧牛図屛風》(大津市盛安寺)がある。
執筆者:中島 純司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
桃山から江戸初期の漢画系画派。桃山時代の長谷川等伯(とうはく)を始祖とするためこうよばれる。等伯には4人の子があったが、長男・久蔵(きゅうぞう)(1568―93)は天賦の才に恵まれながらも夭折(ようせつ)、また次男の宗宅(そうたく)(等後、?―1611)も法橋(ほっきょう)に任ぜられたものの、父の後を追うように没したため、家督を継いだのは三男の左近(さこん)(等重)であった。彼は、父等伯が「雪舟五代」を称した後を受けて雪舟六代を標榜(ひょうぼう)し、等伯様式を継承しながらも、同時代の俵屋宗達(そうたつ)からの影響をうかがわせる作品を残し、代表作に『三十六歌仙図扁額(へんがく)』(滋賀・海津神社)がある。なお長谷川派の画人には、『柳橋(りゅうきょう)図屏風(びょうぶ)』を描いた四男の宗也(そうや)(1590―1667)や長谷川宗圜(そうかん)などがあったが、しだいに町絵師的性格を強め、流派として組織的活動をどの程度行っていたか不明である。
[榊原 悟]
『土居次義著『近世日本絵画の研究』(1970・美術出版社)』
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加