鈴木馬左也(読み)すずき・まさや

朝日日本歴史人物事典 「鈴木馬左也」の解説

鈴木馬左也

没年:大正11.12.25(1922)
生年:文久1.2.24(1861.4.3)
明治大正時代実業家日向高鍋藩(宮崎県高鍋町)の家老水筑(のち秋月)種節の4男として同地に生まれる。母は久子。外交官秋月左都夫実兄。明治2(1869)年に母の実家鈴木家を継ぐ。20年帝大法科大学を卒業後内務省に入り,愛媛県,大阪府,岐阜県の書記官などを歴任し,27年農商務省参事官兼特許局審判官に転任。この間愛媛県,大阪府在職時から住友家の知遇を得て,29年求めにより辞官して住友本店に入り,副支配人となる。欧米視察ののち31年に理事,翌年別子鉱業所支配人を兼任して,同年に起こった風水害の事後処理や煙害問題の対策に当たった。35年に本店支配人に転じ,37年伊庭貞剛のあとを承けて総理事に就任した。以来死の直前に至るまでその職にあって,家長住友吉左衛門友純を補佐して住友の全事業を統轄した。従来の鉱山,伸銅,鋳鋼,銀行,倉庫に加え,林業,肥料製造,電線製造,電力などに経営拡大を図ったが,事業の中心はあくまで重化学工業などの製造業であって,第1次大戦後一部で期待された貿易商社設立には反対の立場を堅持した。42年には住友本店を住友総本店と改称したが,事業の多角化とともに組織近代化や統轄機関の整備が必要となり,個人経営の総本店は大正10(1921)年に住友合資会社へ改組された。人材育成にも熱心で,主に官界から有用な人材を迎え入れるとともに,大学,専門学校新卒者の採用を積極的に行い,独身寮の整備や参禅修行を通した社員の精神教育にも意を用いた。鈴木の人格,気質は参禅修行を通して培われたといわれ,住友内外の人々と摂心会を起こして修養に努め,晩年には茶隴山道場を設け精進の場とした。<参考文献>鈴木馬左也翁伝記編纂会編『鈴木馬左也』

(安国良一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木馬左也」の意味・わかりやすい解説

鈴木馬左也
すずきまさや
(1861―1922)

明治・大正期の住友財閥指導者。秋月節郎の四男として日向国(ひゅうがのくに)(宮崎県)高鍋(たかなべ)に生まれる。鈴木來助の跡を相続して鈴木姓となる。外交官秋月左都夫の弟。1894年(明治27)東京帝国大学法科大学を卒業、内務官僚となり愛媛県、大阪府の参事官を歴任、さらに農商務省参事官に転じた。1896年伊庭貞剛(いばさだたけ)の招きで住友に入り、ただちに住友本店副支配人、欧米外遊後に別子鉱業所支配人、理事を経て、1904年(明治37)伊庭の後を継いで総理事に進んだ。以後その職にあること18年、その間住友の事業は、別子鉱山、銀行から石炭、伸銅、製鋼、電線、倉庫へと多角化しつつ拡大し、三井、三菱(みつびし)に次ぐ大財閥の地位を得た。反面、鈴木ワンマン体制があまりに長すぎ、人事の停滞を招いた。晩年の1921年(大正10)2月個人経営の住友総本店を住友合資会社に改組、財閥組織を確立したが、翌年病気に倒れて総理事を辞任。まもなく没した。

[麻島昭一]

『鈴木馬左也翁伝記編纂委員会編・刊『鈴木馬左也』(1961)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木馬左也」の意味・わかりやすい解説

鈴木馬左也
すずきまさや

[生]文久1(1861).2.24. 宮崎
[没]1912.12.25. 大阪
明治・大正期の実業家,住友財閥の指導者。父は高鍋藩士。少年時代長崎で英語を学び,1887年東京帝国大学を卒業,内務省,農商務省に勤めたのち,伊庭貞剛 (当時の住友総理事) に見込まれて 96年住友本店に入る。 1904年総理事となり,以後 25年間にわたって住友財閥の全事業を統轄した。彼は住友の諸事業を独立の会社に改組し,能力によって人材を抜擢するなど,住友の組織と経営の近代化を遂行した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木馬左也」の解説

鈴木馬左也 すずき-まさや

1861-1922 明治-大正時代の実業家。
文久元年2月24日生まれ。秋月左都夫(さつお)の弟。鈴木来助の跡をつぐ。内務省につとめ,明治27年農商務省参事官。29年伊庭貞剛(いば-さだたけ)にまねかれ住友本店にはいる。37年総理事となり,事業を拡大,発展させた。大正11年12月25日死去。62歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。帝国大学卒。

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