改訂新版 世界大百科事典 「鉄骨造建築」の意味・わかりやすい解説
鉄骨造建築 (てっこつぞうけんちく)
各種形鋼,鋼板,鋼管などの鋼材を,リベット,ボルト,溶接などの接合手段で組み立てて主要骨組みを構成した構造を鉄骨造steel framed constructionと呼び,鉄骨造による建築を鉄骨造建築という。
歴史
人類が鉄を使い始めたのは前5000年ころからであるが,建築の主要構造部に鉄を用いるようになったのは18世紀の産業革命以降である。最初は劇場,倉庫,工場などの屋根架構材や柱などに鋳鉄や錬鉄が用いられた。1851年J.パクストンが設計したロンドンのクリスタル・パレスは,鋳鉄骨組みとガラスによる新しい形態で当時の人々を驚かせた。19世紀の半ばごろ,転炉法,平炉法の発明があり,鋼鉄が製造されるようになったため,以後建築構造に用いられる鉄は軟鋼が主体となった。89年のパリ大博覧会に現れた径間115mの三鉸(さんこう)式アーチの巨大な機械館と高さ300mを超すエッフェル塔の二つは,ともに鋼を主材料とし,その後の鉄による建築の可能性を示した。同じころアメリカで鉄骨造建築が普及し,1885年シカゴに10階建てのホーム・インシュアランス・ビルが近代的構造原理にのっとり耐火的で採光のよい高層事務所建築として完成し,これにつづいてアメリカでは各地に鉄骨造の摩天楼が多数建てられるようになった。1913年ニューヨークに完成した55階建てのウールワース・ビル,31年の102階建てエンパイア・ステート・ビルなど,いずれも鉄骨を軽い耐火材で包む形式のものである。また1921年,L.ミース・ファン・デル・ローエによって発表されたガラスと鉄の摩天楼案は,その後の世界の近代建築運動に大きい影響をあたえた。
日本で鉄骨を建築に用いたのは,1894年東京に完成した3階建ての秀英舎印刷工場が最初といわれている。柱に鋳鉄管を用い,壁は煉瓦を積んだものであったが,1910年焼失した。その後,鉄骨に煉瓦壁を組み合わせたビルが建てられたが,関東大震災で大きい被害を受けたものが多く,重い壁をもった鉄骨造建築はしだいに少なくなり,飛行機格納庫,劇場,工場などの大スパン構造に多く用いられてきた。第2次世界大戦後は,軽量形鋼が住宅や簡易な建築に用いられるようになり,また昭和30年代後半から日本にも出現してきた超高層建築のほとんどは鉄骨造で建てられている。
特徴と適用
鉄は強度の割に軽くかつ価格も高くなく,工場生産により品質や精度の確保がしやすいため,高層建築,大スパン建築をはじめとして,建築用材として幅広く使われる。一方,鉄は不燃材ではあるが,耐火力はないので,耐火性能を必要とする場合は,鉄骨を耐火材料で被覆しなければならない。また,鉄は湿気によるさびや電食の問題があり,それらに対する対策が必要である。
2階建て程度の住宅や低層事務所建築などでは,一般鋼材または軽量形鋼で柱,はりの骨組みを組み,地震や風による水平力に耐えるため壁面と床面に斜めにブレースを入れ,床や壁はALC板のような軽量耐火材料を用いるような構法がよく用いられる。このような建物を軽量鉄骨造建築と呼ぶこともある。また劇場,屋内競技場,飛行機格納庫,展示場など大スパンを必要とする建物では,鉄骨によるトラス構造,立体トラス構造,アーチ構造などがよく用いられる。日本の超高層建築のほとんどは鉄骨造建築である。柱,はりは鉄骨で,耐震要素には鉄骨ブレースやスリット入り鉄筋コンクリート耐力壁などを用い,床はコンクリートを打ち,柱,はり,ブレースなど主要骨組みは軽い耐火材料で被覆するといった方式のものが多い。建物の周期を長くして建物に作用する地震力を小さくしようとする,いわゆる柔構造方式をとり,地震による変形に対応できるよう,外壁は金属板などによるカーテンウォールとするのがふつうである。
執筆者:沖塩 荘一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報