銀山村(読み)ぎんざんむら

日本歴史地名大系 「銀山村」の解説

銀山村
ぎんざんむら

[現在地名]岩美町銀山

蒲生がもう村の南、蒲生川西岸に位置する。南は洗井あらい村。村名は近世初頭に銀を産出し大いに栄えたことにちなむという。文禄二年(一五九三)荒井あらい(洗井村)の近辺の三日月みかづき山で銀鉱が発見され、鳥取城主宮部継潤の支配下に置かれたといい、産出量が豊かで蒲生村を含む付近一帯に七―八軒の人家が軒を並べ、市町様相を呈したという(因幡民談記)。慶長三年(一五九八)宮部継潤から豊臣氏へ納められた銀は九千二八二枚余で、但馬国生野いくの銀山(現兵庫県生野町)に次ぐ量であった(慶長三年「秀吉蔵納日記」大日本租税志)採掘には鳥取城下の有力商人石井宗徳・同長空・山崎屋や巨濃この郡の有力者安木行蓮などがかかわったという(因幡民談記)。銀山の周辺には坑夫・諸職人・商人などが集住したが、居住地域の周囲には堀や木戸が設けられ出入りが制限されたため構内での米価が高騰した。宮部氏は文禄・慶長の役に際し朝鮮国から招来した商人五―六人に銀山で米を販売することを許したが、彼らの子孫は鳥取城下の有力商人になったという(「因幡民談記」、「町人旧功書」県立博物館蔵)。その後地中深いところの銀鉱脈を掘るため、二里ほど奥から谷水を流して山を崩しつつ採掘するようになったが、関ヶ原の戦のあと池田長吉が巨濃郡を支配した頃には鉱脈を掘尽し廃絶したという(因幡民談記)


銀山村
ぎんざんむら

[現在地名]日南町中石見なかいわみ

大倉おおくら(一一一二メートル)の南西麓、北流する石見川右岸に位置し、対岸は塚原つかばら村、北は下石見村。吉川広家宛の文禄五年(一五九六)と推定される三月一三日の安国寺恵瓊自筆書状(吉川家文書)によると、「伯州銀山」の経営権を認める豊臣秀吉の朱印状が広家に与えられるようにと、恵瓊自らが斡旋を行っている。これによって同年九月七日に広家の「日野之内銀山」経営権が認められ、銀子運上が命じられており(「豊臣秀吉朱印状」同文書)、当時増田長盛も斡旋の労をとったことが知られる(九月八日「増田長盛添状」同文書)。前年四月三日には鹿野しかの(現鹿野町)城主亀井茲矩が日野山で銀を発見したことが賞されているが(「豊臣秀吉朱印状」亀井家文書)、当地と考えられる日野山が吉川広家領に包摂されていたため、秀吉の裁可によって銀山の経営権が移行したのであろう。


銀山村
ぎんざんむら

[現在地名]山崎町塩山しおやま

千種ちくさ川の支流志文しぶみ川の上流域に位置し、西は塩野しおの村、東は今出いまいで村。もとは塩野村の一部で、元禄(一六八八―一七〇四)以前に分村。元禄郷帳では「古ハ塩野村」と注記され、高一六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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