銀杏返し(読み)イチョウガエシ

デジタル大辞泉 「銀杏返し」の意味・読み・例文・類語

いちょう‐がえし〔イチヤウがへし〕【銀杏返し】

女性髪形の一。びんたぼ前髪を束ねた髪を左右二つに分けて、低いまげを作ったもの。江戸末期から流行し、明治大正ごろが最盛期であった。

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精選版 日本国語大辞典 「銀杏返し」の意味・読み・例文・類語

いちょう‐がえしイチャウがへし【銀杏返】

  1. 〘 名詞 〙 女性の髪の結い方の一つ。髻(もとどり)の上を二つに分け、左右に曲げて半円形に結んだもの。江戸中期には一二三歳から二〇歳ぐらいまでの女性、明治以後は中高年の女性にも用いられた。上方では「新蝶々」と呼ぶ。
    1. 銀杏返し〈風俗画報〉
      銀杏返し〈風俗画報〉
    2. [初出の実例]「いてうがえしへ緋のなまこしぼりの裁(きれ)をかけ」(出典:怪化百物語(1875)〈高畠藍泉〉下)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「銀杏返し」の意味・わかりやすい解説

銀杏返し
いちょうがえし

江戸末期から明治・大正時代にかけて、女性の間で流行した日本髪の一種。最初は銀杏髷(まげ)から変化した髪形で、これを結った年齢はだいたい元服(16歳)から20代までであった。まず前髪、鬢(びん)、髱(たぼ)をとったあとの毛を集めて根とし、これを二分して左右に低い髷をつくってから元結で締めたものである。島田髷よりも大げさでないのが喜ばれて、町娘や内儀の間に用いられた。明治20年代に西洋式の束髪がはやるようになると、下町の水商売の女性などの間に人気をよんで大正まで流行した。

[遠藤 武]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「銀杏返し」の意味・わかりやすい解説

銀杏返し
いちょうがえし

幕末から明治にかけて,江戸の一般女性に結われた髪型の一種。 (もとどり) を2分して根の左右に輪をつくり,毛先を元結いで根に結ぶのが特色。形がイチョウ (銀杏) の葉に似ていることからこう呼ばれた。『吾妻余波』には,12,13歳の少女から 20歳以上の年増 (としま) まで結う比較的略式の髪型と記されている。 10歳ぐらいの少女の結う蝶々髷 (まげ) や銀杏髷の改良型とされ,関西では新蝶々と呼んだ。明治になると粋好みの娘や花柳界の女性に普及し,若い女性は髷を大きく,中年以上は髷を小型に結う習慣であった。

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百科事典マイペディア 「銀杏返し」の意味・わかりやすい解説

銀杏返し【いちょうがえし】

幕末から明治に結われた髪形。少女の結う蝶々髷(ちょうちょうまげ)から起こったもので,髷の毛を2分して根の左右に輪を作り,毛先を元結で根に結ぶ。この根を低くとったのを根下り銀杏といい,芸者などが多く結った。
→関連項目桃割

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世界大百科事典(旧版)内の銀杏返しの言及

【髪形】より

…しかし,従来の髪形は結うのが不便で非衛生的だとされ,85年東京に〈婦人束髪会〉が生まれた。一般の既婚者の間では銀杏返し(いちようがえし)が結われていたが,中・上流階級では束髪系統が一世を風靡した。束髪には西洋上げ巻,西洋下げ巻,イギリス巻,まかれいと(マーガレット)などがあり,たちまち全国にひろまった。…

【桃割】より

…江戸末期から明治~大正~昭和初期に流行した。銀杏(いちよう)返しと同系統の髪形で,髷の根をとり,毛先を二つに分けて左右に輪をつくり,奉書紙をたたんだもので根を巻く。関東と関西では少し髷の趣が異なり,京阪では髷の形も厚く,根に巻く根掛(ねがけ)も派手である。…

※「銀杏返し」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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