中国の航空工学の専門家。江蘇(こうそ)省無錫(むしゃく)生まれ(生年、生地には諸説あり)。1934年上海(シャンハイ)交通大学卒業後、1935年アメリカに渡り、マサチューセッツ工科大学、カリフォルニア工科大学で航空力学を専攻。1943年カリフォルニア工科大学助教授、1949年教授。第二次世界大戦中はアメリカで国防省に勤務し、ドイツのV2ロケットの接収にもかかわった。1948年母校である上海交通大学の学長職をいったん提示されたが、若すぎるという理由で見送られた。ふたたびアメリカに戻り、カリフォルニア工科大学グッゲンハイムジェット推進研究センター教授に任命された。1950年に新中国建設のために帰国を試みるが、重要資料持ち出しを口実に逮捕されて15日間拘留され、以後もFBIの監視下に置かれた。1955年にジュネーブの米中送還協定で帰国を許され、革命後の中国に帰り、翌1956年新設された中国科学院力学研究所所長に就任した。1959年共産党入党、1960年の核ミサイル実験、1970年の人工衛星打上げなど中国におけるロケット開発を指導した。中国力学学会理事長、中国自動化学会会長にもなり、文化大革命中も彼の担当する部門は平穏であったという。1968年国防科学委員会副主任、1969年第9回全国人民代表大会主席団員、1984年国防科学技術工業委員会副主任、1986年中国科学技術協会主席、1988年全国政協副主席、1989年国際理工学研究所名誉所員、1991年中国科学技術協会名誉主席などを歴任、科学面・政治面で重要な役割を果たしている。なお、ハンガリー生まれの著名な数理物理学者セオドール・フォン・カルマンと共同で提案した、空気力学における遷音速流(音速に近い空気の流れ)の「カルマン‐チエンkarman-Tsienの近似理論」でも有名である。この理論は音速に近い速度で飛ぶ飛行機の翼の性能を計算するのに用いられている。
[栗原智郎・松田卓也 2018年8月21日]
『銭学森著、山田慶児訳『世界の思想14 技術科学論』(1967・法律文化社)』
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