中国、遼寧(りょうねい)省南西部の地級市。3市轄区、2県を管轄し、2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口302万6000(2015)。小凌河(しょうりょうが)下流部に位置し、東北地区と華北地区を結ぶ遼西(りょうせい)回廊の東口にあたる軍事、交通の要衝。京哈(けいは)線と錦承線(錦州―承徳(しょうとく))の分岐点にあたる。錦州は漢代には遼西郡徒河(とか)県の地であった。遼代に永楽(えいらく)県を置き、錦州の州治とした。元代に錦州と改称、清(しん)代に錦州府治となった。辛亥(しんがい)革命後に錦県となったが、1937年錦県から分離して市制を施行した。第二次世界大戦後の国共内戦では遼瀋(りょうしん)戦役の主戦場となった。
石油化学、電子、製薬、自動車部品、機械、紡績、食品などの工業が立地し工業都市化が進んでいる。周辺農村はトウモロコシ、コウリャン、大豆、米、ワタ、ラッカセイを産する。また特産として、玉細工、蝦油(シャーユー)(調味料の一種)がある。史跡に広済寺、遼瀋戦役記念館、同記念塔などがある。
[河野通博・編集部 2017年4月18日]
中国,遼寧省西部の省直轄市。市部人口86万(2000)。漢代の遼西郡徒河県,晋代の西楽県の地とされるが,いったん荒廃し,遼代永楽県がおかれ,錦州の州治とされた。清代の1665年(康熙4)錦県と改められ,広寧府(のち錦州府)の府治となった。錦州市は1937年に県の一部をさいて設置され,48年遼西省の省都,54年省直轄市となった。石油,化学,冶金,電子,紡織,機械,製紙,皮革等の工業が立地する総合工業都市であり,また伝統工業としては玉石の彫刻,エビ(蝦)油を特産とする。1948年第3次国内革命戦争の際の遼瀋戦役の主戦場としても有名であるが,古来,華北平原と東北平原のあいだに遼西走廊を形成する軍事,交通の要衝である。京哈線(北京~ハルビン)に沿い,錦承線(錦州~承徳)を分岐する。渤海中の大筆架山,小筆架山は名勝として知られる。
執筆者:河野 通博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新