九州旅客鉄道(JR九州)の線路名称。鳥栖(とす)(佐賀県)―長崎間125.3キロメートル、および長崎県内の喜々津(ききつ)―長与(ながよ)―浦上(うらかみ)間23.5キロメートル(長与支線)よりなる。複線化率は32.1%(長与支線は全線単線)。鳥栖で鹿児島本線より分岐し、佐賀、江北(こうほく)、肥前鹿島(ひぜんかしま)、諫早(いさはや)などを経て長崎に至る九州地方の幹線鉄道。九州鉄道によって建設され、1891~1905年(明治24~38)に鳥栖―長崎間を開業したが、当時のルートは武雄(たけお)、有田、早岐(はいき)、大村湾岸、長与などを経由するものであった。1907年(明治40)国有化、1909年の線路名称統一で長崎本線となった。1930年(昭和5)に長崎―長崎港間1.1キロメートルが開通したが、この線は上海(シャンハイ)航路の客船への連絡のため設けられたもので、連絡旅客列車と貨物列車のみの運転にとどめられたので、一般列車の終点は長崎駅であった(1987年廃止)。1930~1934年、有明海岸を通って肥前山口(現、江北)と諫早を結ぶ有明東線と有明西線が開通し、1934年の全通とともにこれを長崎本線に編入した。これに伴って、在来の肥前山口―早岐間を佐世保(させぼ)線に編入し、早岐―諫早間を大村線とした。また喜々津―長与―浦上間には急勾配(こうばい)区間があって輸送上のネックとなったため、帆場(ほば)岳の下を長崎トンネル(6173メートル)で貫いてこの区間を短絡する新線が建設され、1972年(昭和47)に開通して主要列車は新線を通過することとなった。1976年にはこの新線経由で鳥栖―長崎間が交流電化された。1987年、日本国有鉄道の分割民営化に伴い、JR九州に所属。
2022年(令和4)9月の西九州新幹線(武雄温泉―長崎)開業に伴い、新幹線の並行在来線となる江北―諫早間60.8キロメートルでJR九州を第2種鉄道事業者として、線路など施設を第3種鉄道事業者である一般社団法人佐賀・長崎鉄道管理センターが保有する上下分離方式が採用された。なお、肥前浜―長崎間は電化設備が撤去され、非電化区間となった。
[青木栄一・青木 亮 2025年4月15日]
鹿児島本線鳥栖(とす)駅を起点とし,佐賀,肥前山口,諫早を経て長崎駅に至る125.3kmのJR九州の営業線。ほかに喜々津~長与~浦上間23.5kmの別線がある。鳥栖から現在の佐世保線,大村線を経て長崎に至る鉄道として九州鉄道会社が建設,鳥栖~佐賀間が1891年8月に開業,97年7月早岐(はいき)まで延長され,98年11月浦上(旧長崎)まで全通した。1905年4月現在の長崎駅まで延長され,07年国が買収して長崎本線となった。34年肥前山口~諫早間の現在ルート開通とともに,これを長崎本線とし,旧ルートはそれぞれ佐世保線,大村線と改称された。第2次大戦前には長崎港から上海への定期航路も開設され,同線は中国大陸への連絡鉄道として重要な役割を果たしていた。72年10月輸送力増強のための新線が喜々津~浦上間に肥前古賀経由で建設された。
執筆者:村山 繁樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...