明治〜昭和期の文芸評論家,英文学者
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
評論家。本名は誠也。新潟県生れ。1897年東京専門学校(現,早稲田大学)卒業と同時に博文館に入社,《太陽》の記者となる。はじめはひろく科学・宗教・哲学に興味を示したが,高山樗牛の《美的生活を論ず》(1901)への反論などを契機として文学批評に進む。《幻滅時代の芸術》(1906)で自然主義文学の積極的な推進論者となり,以後〈現実暴露の悲哀〉〈無解決と解決〉(1908)など,この文学運動のキャッチフレーズづくりをつとめた。文字どおり現実を暴露し破壊することをためらわずに訴えつづけたが,直線的な論理がやや緻密さを欠き,反自然主義陣営の批判を浴びた。1910年からのイギリス留学で評論の筆を収め,後年は早大で英文学を講じた。《文芸観》(1905),《自然主義》(1908),《万年筆》(1910)などがある。
執筆者:榎本 隆司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
評論家、英文学者。本名誠也(せいや)。新潟県生まれ。東京専門学校(現早稲田(わせだ)大学)文科卒業。博文館に入り『太陽』の編集に従事、かたわら文芸評論の筆をとり、科学的方法を文学に持ち込むべきことを説くなど清新な論を展開し、『幻滅時代の芸術』(1906)、『現実暴露の悲哀』(1908)などを次々に発表し、日露戦争後におこった自然主義を推進させる役目を果たした。しかし、1910年(明治43)から12年にかけてイギリスに留学、帰国後は評論活動から出版事業経営の仕事にしだいに転じ、同時に近代英文学、精神分析の研究に力を入れた。著書に『自然主義』(1908)、『文芸と心理分析』(1930)など。
[畑 実]
『『明治文学全集43 長谷川天渓他集』(1967・筑摩書房)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…《破戒》は主題と方法の清新さによって,《蒲団》は実生活の愛欲の赤裸々な告白として,いずれも文壇に大きな衝撃を与えた。また,《破戒》をいち早く西欧自然主義の命脈を伝えた作と評価した島村抱月をはじめ,長谷川天渓,片上伸(天弦)らの評論活動による理論的バックアップも有力だった。自然主義はやがて《早稲田文学》《文章世界》《読売新聞》などを有力な拠点とする一種の文学運動にまで成長し,1910年前後に最盛期を迎える。…
※「長谷川天渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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