長谷幸輝(読み)ながたにゆきてる

改訂新版 世界大百科事典 「長谷幸輝」の意味・わかりやすい解説

長谷幸輝 (ながたにゆきてる)
生没年:1843-1920(天保14-大正9)

熊本出身の地歌三味線演奏家。九州系地歌を初めて東京に紹介し普及させた。久留米の宮崎勾当師事。勾当に進むが,当道制廃止後は熊本で独立し,三味線の名手として知られる。1893年に上京し,三味線の楽器改良や撥(ばち)のくふうも行う。門下川瀬里子(1873-1957),福田栄香が出て,とくに川瀬は師の跡を受けて三味線を改良。今日,地歌で一般に用いられているのはこの川瀬の改良作である。宮城道雄や中島雅楽之都(うたしと)らも長谷に師事し,東京の地歌がほとんど九州系といわれるほどの勢力となった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「長谷幸輝」の解説

長谷 幸輝
ナガタニ ユキテル


職業
地歌三味線奏者

生年月日
天保14年 11月13日

出身地
肥後国熊本(熊本県)

経歴
天然痘のため幼い頃に失明、6歳のとき雪都に師事し地歌三味線を学ぶ。師の没後宮原勾当門下となり24歳で勾当の官位を受けた。本田勾当の影響を受けて九州派の地歌をつくり上げ、東京に広めた。門下に川瀬里子、福田栄香ら。宮城道雄、中島雅楽之都も教えを受けた。

没年月日
大正9年 4月11日 (1920年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「長谷幸輝」の解説

長谷 幸輝
ナガタニ ユキテル

江戸時代末期〜大正期の地唄三味線奏者



生年
天保14年11月13日(1844年)

没年
大正9(1920)年4月11日

出身地
肥後国熊本(熊本県)

経歴
天然痘のため幼い頃に失明、6歳のとき雪都に師事し地唄三味線を学ぶ。師の没後宮原勾当門下となり24歳で勾当の官位を受けた。本田勾当の影響を受けて九州派の地唄をつくり上げ、東京に広めた。門下に川瀬里子、福田栄香ら。宮城道雄、中島雅楽之都も教えを受けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長谷幸輝」の意味・わかりやすい解説

長谷幸輝
ながたにゆきてる

[生]天保14(1843).熊本
[没]1920. 東京
地歌箏曲家。目が不自由だった。幼名半三郎。熊本の雪之都 (大阪派九州系の寺崎検校系) に6歳で入門。輝香と名のり,師没後同門座元の簾美之都に師事し,17歳で簾之都と改名。 21歳で久留米の宮崎勾当 (石塚検校系の宮原検校高弟) に師事。勾当に進み幸輝都と名のる。 1877年以来熊本で独立し,三弦の名手として知られる。 93年上京し,九州系地歌を初めて東京に紹介した。三弦や撥 (ばち) の改造,胴吊りの工夫などを試み,なかでも撥は九州撥と呼ばれる。門下に川瀬里子,福田栄香らがいて,東京の地歌といえばほとんど九州系といわれる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷幸輝」の解説

長谷幸輝 ながたに-ゆきてる

1844*-1920 明治-大正時代の地歌三味線家。
天保(てんぽう)14年11月13日生まれ。幼時に失明。久留米の宮崎勾当(こうとう)に師事して地歌の三味線をまなび,勾当の官位をえる。明治26年上京,三味線を改良し,九州系地歌を大成した。門下に川瀬里子,福田栄香,宮城道雄,中島雅楽之都(うたしと)ら。大正9年4月11日死去。78歳。肥後(熊本県)出身。幼名は半三郎。

長谷幸輝 ながたに-こうき

ながたに-ゆきてる

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長谷幸輝」の解説

長谷 幸輝 (ながたに ゆきてる)

生年月日:1843年11月13日
江戸時代-大正時代の地唄三味線演奏家
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android