知識注入主義的、暗記中心主義的教授を排して、子供の自然性に基づいた内なる能力や心性の開発を目的とした教授法である。1878年(明治11)アメリカの新教育運動の中心となっていたオスウェゴー師範学校留学から帰った高嶺(たかみね)秀夫や、ブリッジ・ウォーター師範学校から帰国した伊沢修二らによって唱えられたペスタロッチ主義教育を原理とする教授法で、明治10年代から20年代にかけて日本に広く普及した。開発教授は、当時の教育界に指導的役割を果たしていた自然主義教育と軌を同じくしていた。
当時欧化思想はわが国の教育界にも深く浸透し、欧米の教育学説は大いにもてはやされていた。そうした風潮のなかでペスタロッチ主義教育を紹介した若林三郎・白井毅共著の『改正教授術』(1883)とその続編(1884)は広く注目され、開発教授の普及に大きな役割を果たした。若林・白井は東京師範学校で高嶺や伊沢の門弟であり、両者の強い影響を受けたといわれている。
しかし当時行われていた開発教授は、問答教授と混同され、教師が子供になんでも問いかけて答えさせれば開発になると考えられ、そのため、いたずらにことばのやりとりに終始する授業となり、本来の精神とはかけ離れたものになっていた。
[寺川智祐]
〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...
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