限田法(読み)ゲンデンホウ(英語表記)Xian-tian-fa; Hsien-t`ien-fa

デジタル大辞泉 「限田法」の意味・読み・例文・類語

げんでん‐ほう〔‐ハフ〕【限田法】

中国で制定された土地所有の制限に関する法令。前漢董仲舒とうちゅうじょが豪族による大土地所有の制限と小農民の保護のために提案し、前7年、哀帝によって公布された。のちにの仁宗も田租などの脱税防止のため採用したが、共に実効はなく終わった。限田策。限田。

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精選版 日本国語大辞典 「限田法」の意味・読み・例文・類語

げんでん‐ほう‥ハフ【限田法】

  1. 〘 名詞 〙 中国の漢代、宋代に定められた、土地所有を制限する法律。→限田

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「限田法」の意味・わかりやすい解説

限田法
げんでんほう
Xian-tian-fa; Hsien-t`ien-fa

中国で土地所有の最高額を制限しようとした法令。前漢の哀帝即位の綏和2 (前7) 年,大司馬師丹の建言に基づいて発布された。内容は,(1) 諸侯王,列侯はその封国内に限って私有地の所有を認める,(2) 関内侯以下の所有地は 30頃 (けい) 以下に限る,(3) 奴婢の所有数を諸侯王は 200人,列侯,公主は 100人,関内侯以下は 30人までとする,(4) 商人官吏となったり,土地を所有したりすることを禁じる,というものであった。しかし宦官などの反対にあって実施されなかった。宋代の限田法は官戸 (官僚の家) の徭役免除を制限するための限田免役の法をさす。煕寧4 (1071) 年王安石新法として募役法が実施され,官戸は助役銭 (民戸の免役銭の半額) を出したが,元祐6 (91) 年に官戸の土地所有額 50頃 (けい) までに限って助役銭を納め,それをこえた部分は,一般民戸と同様に免役銭を納めさせたことに始る。この限田免役法は政和年間 (1111~17) にさらに整備され,官戸の免役特権は品級に応じて 100頃までに制限され,それ以上の分は一般民戸と同様に差役を課され,官戸の子孫もこの限田法の適用を受けることになった。これは南宋になってさらに強化された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「限田法」の意味・わかりやすい解説

限田法
げんでんほう

中国における土地所有額制限に関する法。著名なのは前漢末、哀帝の紀元前7年に発布されたものである。その内容は、(1)諸侯王、列侯は各自の封国内においてのみ土地を所有することを認める、(2)関内侯以下、吏・民に至るまでの最高土地所有額を30頃(けい)(137ヘクタール)までとする、というものであり、これと同時に、(3)奴婢(ぬひ)所有数を制限して、諸侯王は200人までとし、列侯・公主は100人、関内侯・吏・民は30人までとする、(4)商人が土地を所有することや、官吏になることを認めない、などの内容が定められた。

 なお、ここでは諸侯王や列侯、公主の最高土地所有額が明確でないが、奴婢所有数に対応して諸侯王200頃、列侯・公主100頃、関内侯・吏・民30頃とされていたであろうと推定されている。この法令は3年の猶予期間を置いて実施される予定で、発布とともに土地や奴婢価格が暴落したという。しかし、外戚(がいせき)や寵臣(ちょうしん)の反対にあい、結局、猶予期間を過ぎても実施されることなく終わってしまった。

 限田法は、当時の豪族などによる大土地所有の発展に制限を加え、漢帝国の支配基盤である小農民の没落を防ぐ意図をもつものであった。これが失敗に帰してのちも、限田の思想は以後の土地制度に継承されていった。

[重近啓樹]

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改訂新版 世界大百科事典 「限田法」の意味・わかりやすい解説

限田法 (げんでんほう)
Xiàn tián fǎ

中国で農民保護のため有力者の田地所有を制限しようとした政策。前漢末に師丹の奏により,諸侯王以下土地所有最高額を30頃(約150ha)と定めた命令を出したが,実効はあがらなかった。晋の占田や北魏~唐の均田法もその理念をうけついでいる。宋代にはすでに私有地の制限は不可能であったが,免役の特権を適用される所有地に限度を設け,官人への田土の仮売や名目的寄進等を禁絶しようとした。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「限田法」の解説

限田法(げんでんほう)

中国史上の土地所有制限に関する法令。漢代豪族の発展に伴い,初め董仲舒(とうちゅうじょ)によって提案され,前漢末の哀帝のとき土地と奴婢(ぬひ)を制限する具体案がつくられたが,結局実施されなかった。晋の占田・課田の法はこれを受け継いだもので,唐の均田制もそうした性質を持つとする説がある。宋にも限田法があるが,以上と違い,官戸の土地の徭役(ようえき)免除の範囲を定めたものにすぎない。

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旺文社世界史事典 三訂版 「限田法」の解説

限田法
げんでんほう

中国史上,大土地所有を制限する法
豪族・官僚の大土地所有を抑制し,歴代専制国家の基盤である中小農民の没落防止のため,前漢末期の哀帝のときに行われ,新の王莽 (おうもう) は大規模に計画して失敗。以後,西晋の占田・課田法,北魏〜唐の均田制もこの流れをくむもので,宋代は職役免除の特権をもつ官戸を対象に限田が行われた。

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世界大百科事典(旧版)内の限田法の言及

【漢】より

…このように豪族のもとに美田が集中し,自営農民も没落して豪族の傘下に吸収されていくと,かつての郷里制社会にみられた共同体関係は当然のことながら失われていた。 これは国家の基盤の崩壊であり,そこで哀帝の前7年(綏和2)には大土地所有者の所有地と奴婢の所有人数を制限した限田法を発布したが,多くの反対者によって実施できなかった。また王莽政権では,耕地を王田,奴婢を私属と称してともに売買を禁止し,所有地の面積に制限を加えたが,この法令も発布後3年で廃止を余儀なくされている。…

※「限田法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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