楊万里(読み)ヨウバンリ

デジタル大辞泉 「楊万里」の意味・読み・例文・類語

よう‐ばんり〔ヤウ‐〕【楊万里】

[1127~1206]中国南宋詩人。吉水(江西省)の人。あざなは廷秀。号は誠斎。陸游りくゆう范成大はんせいだいと並び称される。俗語を多くまじえて自然をうたった詩は、日本俳諧と趣が通じ、江戸末期によく読まれた。

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精選版 日本国語大辞典 「楊万里」の意味・読み・例文・類語

よう‐ばんりヤウ‥【楊万里】

  1. 中国南宋の学者、詩人。字は廷秀。号は誠斎。吉州吉水(江西省吉水県)の人。江西詩派に属し、晩年には誠斎体といわれ一派をおこした。著に「誠斎集」「誠斎詩話」などがある。(一一二七‐一二〇六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊万里」の意味・わかりやすい解説

楊万里
ようばんり
(1127―1206)

中国、宋(そう)代の詩人。字(あざな)は廷秀(ていしゅう)、号は誠斎(せいさい)。吉(きっ)州吉水(きっすい)(江西省吉水県)の人。1154年(紹興24)の進士。金国に対する抗戦派で、剛直な性格と時政への直言のため、中央ではあまり出世できず、地方官を転々とすることが多かった。36歳のとき、江西派の詩の模倣をやめ、それまでの詩をすべて焼き捨てたという。以後、友人の楼鑰(ろうやく)が「一つの官ごとに一つの集を定め、流伝すること殆(ほと)んど千巻」というように、任地ごとに一つの詩集をまとめ、第九詩集の『退休(たいきゅう)集』まで3000余首をつくった。彼は「万象畢(ことごと)く来たりて予(われ)に詩材を献ず」と、幅広い題材を俗語的発想によって表現して、自由闊達(かったつ)な詩風を形成し、「予は遊居寝食、詩に非(あら)ざれば与(とも)に帰する無し」と歌って、純一な詩人を自負している。南宋四大家の一人。著に『誠斎集』132巻がある。

[横山伊勢雄]

『今関天彭・辛島驍著『漢詩大系16 宋詩選』(1966・集英社)』『入谷仙介著『新訂中国古典選 宋詩選』(1967・朝日新聞社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「楊万里」の意味・わかりやすい解説

楊万里 (ようばんり)
Yáng Wàn lǐ
生没年:1127-1206

中国,南宋の政治家,文学者。字は廷秀,号は誠斎。江西省吉水の人。紹興24年(1154)の進士に合格後,北方の金朝に対する抗戦派の官僚として活躍。孝宗朱熹(しゆき)(子)を推薦したように,硬骨の儒学者の一面も持つ。彼の詩は,俗語を大胆に摂取した軽妙な表現と意表をつく発想に特色がある。蠅や雀など小動物への感動や子供たちを案ずる気持を述べた作品は,日本の俳人一茶の世界に似通い,味わい深いものが多い。現存する詩約4200首は,宋代で陸游に次いで多作
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊万里」の意味・わかりやすい解説

楊万里
ようばんり
Yang Wan-li

[生]宣和4 (1122)
[没]開禧2 (1206)
中国,南宋の詩人,学者。吉州吉水(江西省)の人。字は廷秀。号は誠斎。紹興24(1154)年進士に及第。主戦派の張浚に師事,国士博士をはじめ諸官を歴任。光宗のとき秘書監,実録検討官となったが,直言が過ぎたためうとんじられ,左遷されて辞職し隠棲した。清廉剛直な性格で,権臣韓侂冑の専横に憤激しつつ世を去った。詩は若い頃は江西詩派に学んだが,のちこれを焼き捨てた。多作で官の変わるたびに編んだ詩集が 9集にのぼり,四千余首が現存し,日常生活に密着した題材に俗語を多用し,軽妙闊達な詩風で,南宋四大家の一人に数えられる。主著『易伝』(20巻),『揮塵録』(3巻),『天問解』(1巻)。

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