雀岐荘(読み)ささきのしょう

百科事典マイペディア 「雀岐荘」の意味・わかりやすい解説

雀岐荘【ささきのしょう】

但馬国出石(いずし)郡にあった荘園。現在の兵庫県但東町(現・豊岡市)の南西部,出石川とその支流佐々木川・河本川の流域が荘域。京都六勝寺の一つの法勝寺領。治承年間(1177年−1181年)に早部(日下部)貞景が公文職に補任され,1197年の《但馬国御家人交名》に当地を苗字の地とする雀岐新大夫助景の名がある。1273年領家坊門基輔預所通貞と地頭太田政継(但馬守護太田氏の一族か)の間で下地中分が行われた。《但馬国大田文》(1285年)によれば領家方の東方(出石川流域)は37町余,地頭方の西方(佐々木川・河本川流域)は36町余。南北朝時代には坊門為名(坊門基輔とは別流)や勘解由小路家が領家職を領有,しかし公文の門真左衛門入道寂意や雀岐助景の子孫を称する明覚,地頭太田政継の子孫と思われる太田孫太郎ほか名主(みょうしゅ)・荘官等の領家職に対する違乱・濫妨が打ち続き,相論が繰り返された。その後守護や在地領主によって押領され,荘園としての実体は失われたと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「雀岐荘」の意味・わかりやすい解説

雀岐荘 (ささきのしょう)

但馬国出石(いずし)郡(現兵庫県豊岡市,旧但東町)の荘園。1285年(弘安8)の《但馬国大田文》によると,法勝寺領で田数72町9反余の大きさである。法勝寺領といってもこれは白河天皇建立であるから,要するに皇室領である。領家は尾張三位家とあるが,これは幕府と関係の深かった坊門三位清基であろう。当時雀岐荘は下地中分されており,東方領家方37町5反余と西方地頭方36町4反余となっている。地頭は大田如道で,但馬守護大田政頼の一族であろう。なお1197年(建久8)の但馬守護源(安達)親長の提出した但馬国御家人の名簿に,雀岐助景の名が見えるが,その名のりからみて雀岐荘を本拠とした武士であろう。
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