雀部荘(読み)ささきべのしょう

百科事典マイペディア 「雀部荘」の意味・わかりやすい解説

雀部荘【ささきべのしょう】

〈ささいべのしょう〉〈ささべのしょう〉ともいう。丹波国天田郡雀部(ささいべ)郷(《和名抄》)に成立した山城松尾社(松尾大社)領の荘園で,現京都府福知山市の前田・土・戸田・石原(いさ)・川北一帯に比定される。天田川(由良川)が流れ,雀部荘堺より下流は松尾社の供菜所であった。当地が松尾社領となったのは1091年のことで,天田郡前貫首(かんじゅ)丹波兼定の寄進による。のち松尾社神主頼親が松尾社を本家として立荘し,領主職はその子相頼以下子孫(東氏)に伝領された。当荘は御厨(みくりや)的性格が強く,荘内に鵜飼いがいて鮭・鮎などの鮮魚を松尾社に備進するのが重要な課役であった。また宿直(とのい)役・夫役などを務めており,そのための12の番(番頭)制が形成されていた。1186年梶原景時が関東下文によって当荘代官に補任され,景時失脚後は地頭が置かれた。以後鎌倉時代を通じて地頭・地頭代との相論が続いたが,幕府安堵うけ,室町時代も社領として命脈を保った。

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改訂新版 世界大百科事典 「雀部荘」の意味・わかりやすい解説

雀部荘 (ささきべのしょう)

丹波国天田郡(現,京都府福知山市上佐々木,下佐々木)にあった荘園。《和名抄》にみえる雀部郷の一部である。松尾社前神主相頼の父頼親が流失田25町を開発し,さらに便宜田畠を相博して加え松尾社領荘園として立荘したことが,1197年(建久8)の相頼譲状と翌年の後鳥羽院庁下文にみえる。本家は松尾社で年貢を神用にあてていたが,領主職は頼親の譲をうけた相頼の子孫(秦(はた)氏)が相伝したようである。鎌倉時代に地頭や地頭代の狼藉があったが幕府の安堵をうけ,南北朝の争乱にさいしても濫妨狼藉がみられたが,室町幕府朝廷によりその領有が保障されている。しかし戦国時代に入ると,名主百姓等が松尾社の命に従わなくなり,1504年(永正1)ごろには有名無実になってしまったという。これに対し幕府は,1507年雀部惣荘を松尾社の直務として神用をまっとうするよう命じたが,その効果は明らかでない。
松尾(まつのお)大社
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