下文(読み)クダシブミ

デジタル大辞泉 「下文」の意味・読み・例文・類語

くだし‐ぶみ【下文】

上位者が下位者あてに下した公文書平安時代から中世、院の庁摂関家将軍家政所まんどころなどから、それぞれ支配下にある役所や人民などに出された。書き出しに「くだす」の文言がある。

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精選版 日本国語大辞典 「下文」の意味・読み・例文・類語

くだし‐ぶみ【下文】

  1. 〘 名詞 〙 平安中期から中世にかけて広く行なわれた文書(もんじょ)様式。書出に「(某所)下(くだす)」との文言のある文書の総称。一般に上位機関から下位に向かって出される命令文書。太政官符に代わって弁官から下される官宣旨、すなわち弁官下文が原型となり、のち次第に、院庁下文摂関家政所下文将軍家政所下文など諸所のものが発生した。
    1. [初出の実例]「安芸(あき)の守になりしに、使うべき用ありて榑(くれ)を請ひたりしに、ただ少しのくたし文をしたりしかば」(出典:類従本赤染衛門集(11C中))

か‐ぶん【下文】

  1. 〘 名詞 〙 後に記した文章。後文。
    1. [初出の実例]「射干は〈略〉此では草の名ぞ。下文の獣の処では似狐ものとあるぞ」(出典:史記抄(1477)一五)
    2. [その他の文献]〔春秋公羊伝疏‐隠公一年〕

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改訂新版 世界大百科事典 「下文」の意味・わかりやすい解説

下文 (くだしぶみ)

11~13世紀に荘園領主や官司が荘園公領在地や地下(じげ)を支配するため盛んに使用した下達文書。8世紀から10世紀までの律令政治において,所管の官司から被管の官司へ下達する文書としては符が用いられていたが,符の発給にあたっては,官司印の請印や授受の儀式など厳格な手続を必要とし,緊急を要する事項あるいは軽易な事項については,ふつごうで煩わしいものであった。そこで文書作成担当者から直接下達する文書として開発されたのが下文である。下文の最も早い形は,9世紀から見える官宣旨(弁官下文)で,太政官符・牒に代わって,太政官の一部局である弁官局から発給され,形式としては差出所(左・右弁官)と宛所の間の伝達文言に〈符〉に代わって〈下〉を用いる点が特徴である。11世紀に至り,荘園制や公領請負制が進展すると,領主や官司は,その支配のため政所を設け,政所から荘園・公領の在地に下命する文書として下文を用いたが,これが政所下文で,13世紀ころ奉書や書下に代わるまで盛んに用いられた。下文は,律令官司が土地・人民を直接支配する原則が崩れ,請負制が主流になる時代において,請け負った在地や地下人を支配する文書ということができる。

 下文を様式からみた場合,官宣旨,摂関家政所下文等のように〈差出所+下〉で始まる差出所記入式下文と,差出所がなく〈下〉で始まる差出所非記入式下文との二つに分かれる。前者は,上述のほか公卿諸家や社寺の政所・公文所下文,院庁下文,女院庁下文,親王・法親王・准后の宮庁下文,官司のものとしては,受領や目代の国司庁宣・留守所下文,大宰府大府宣・大宰府政所下文,左京職政所下文等の公卿請負官司の政所下文,検非違使庁下文,蔵人所下文,建武政権の雑訴決断所下文等があり,多くは公卿あるいは公卿相当の貴種を主人とし,主人または別当の宣旨をうける政所から下すものである。位署は院庁では別当(上段)・判官代・主典代(下段),諸家政所では家令・別当(上段)・従・書吏・知家事・案主(下段)等その構成員の全部または一部が署判を加える。

 後者の差出所非記入式下文は,だいたいにおいて四位以下の貴族・武士が在地や地下に下すもので,受領以外の者が知行国主の命で国務を沙汰するとき,受領が管国以外の国務を沙汰するとき,領家が所領を支配するとき,あるいは源頼朝足利尊氏等武士の棟梁が臣下に下す文書に用いられた。普通発給主体者自身が単独で署判を加えるが,署判の位置によって,袖判下文,奥上署判下文,日下署判下文の三つに分けられる。袖判が最も尊大で,日下署判が最も鄭重な形であるが,だいたいにおいて袖判は四位以上,奥上署判は四,五位,奥下・日下署判は六位以下の者と考えることができる。源頼朝の下文は,従五位下であった1183-84年(寿永2-3)のものは奥上署判,84年正四位下になると袖判となり,85年(文治1)従二位に叙せられてもしばらく袖判を用い,90年(建久1)権大納言に任ぜられるにおよび,政所下文を発給するようになる。はじめは前右大将家政所下文と称し,92年征夷大将軍に任ぜられると将軍家政所下文となり,のち将軍を辞すと前右大将家政所下文に戻るが,いずれにしても鎌倉殿の下文として,地頭の補任,知行恩給,安堵等に関する幕府の重要文書の先蹤となった。なお,10,11世紀ころから,太政官が各官司に調庸等を班給する文書として,官切下文(弁官局が各官司ごとにその品目数量を書き上げ,これに上卿の宣旨書を受けた文書)が,また大蔵省が諸国に租税・貢物を催促する文書として,省切下文があったといわれるが,これはのちに切符といわれる短冊型(縦25cm,横10cmぐらい)の小紙片に書かれた文書と考えられる。切符は,12世紀以降,段銭の配符,銭貨の下行切符等に用いられるが,段銭の場合,はじめ留守所下文の形をとった。下文は,書体は楷書体,文体は漢文体,日付に書下(かきくだし)年号をもつ点で公式様(くしきよう)文書と同じであるが,捺印せず位署が略式である点で異なる。
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百科事典マイペディア 「下文」の意味・わかりやすい解説

下文【くだしぶみ】

11―13世紀に多用された下達文書。律令政治で使用された〈符(ふ)〉にかわって,手続きを簡略化し,文書作成担当者から直接下達した文書。9世紀に弁官(べんかん)下文が初出。荘園制や公領請負制が進む11世紀以降に,領主・知行主などが設けた政所(まんどころ)から在地に下命した政所下文が出された。〈下〉+〈差出所〉で始まるものが多い。摂関(せっかん)家政所下文・院庁政所下文・公文所(くもんじょ)政所下文,官司のものでは受領(ずりょう)や目代(もくだい)の国司庁宣・留守所下文,検非違使(けびいし)庁下文など広く用いられた。源頼朝(よりとも)は地頭(じとう)の補任,御家人への知行恩給・安堵などに袖判(そではん)下文・将軍家下文などを用いた。
→関連項目安堵状掟書官宣旨蔵人下知状古文書雀部荘知行宛行状

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下文」の意味・わかりやすい解説

下文
くだしぶみ

古文書の一形式。上位者が、支配下にある役所や家臣、人民あてに出した文書で、書出しに「下(くだす)」と書くのが特徴。古くは本文の書留めも「故下(ことさらにくだす)」「以下(もってくだす)」などとした。公式令(くしきりょう)に定められた下達文書は符(ふ)と牒(ちょう)であったが、平安時代には、太政官符(だいじょうかんぷ)よりも手続の簡単な弁官(べんかん)下文(官宣旨(かんせんじ))が多く使用されるようになった。こののち令外(りょうげ)の役所である蔵人所(くろうどどころ)や検非違使庁(けびいしのちょう)や、院庁、摂関家(せっかんけ)をはじめとする公卿(くぎょう)、社寺などでも下文を出すようになった。

 鎌倉幕府でも、源頼朝(よりとも)の例に従い、知行(ちぎょう)の充行(あておこな)い、安堵(あんど)など重要な事柄には下文を用い、将軍の位階が低いときには袖判(そではん)の下文、三位(さんみ)に進むと政所(まんどころ)下文を発行する慣習であった。親王将軍の時代は、当初から政所下文を用いた。室町時代、足利(あしかが)将軍も下文を発給したが、政所下文は用いず、3代将軍義満(よしみつ)ののちはほとんど使わなくなった。将軍以外の武家では、鎌倉時代の北条氏、室町時代の周防(すおう)大内氏などが下文を出している。

[百瀬今朝雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下文」の意味・わかりやすい解説

下文
くだしぶみ

古文書様式の一つ。冒頭に「甲下す乙」とある下達文書。公式令 (くしきりょう) 規定外の新様式文書で,この様式のものとしては弁官下文 (官宣旨) が最も早く,その初見は,現在のところ貞観 11 (869) 年のもの。発令者と受令者との関係が端的に表わされていること,発布手続が公式令の煩雑な規定に拘束されないことなどから,蔵人所など令外官官庁をはじめ,院庁などで広く用いられ,さらに摂関家以下公卿あるいは大社寺の政所 (まんどころ) からも下文を出した。下文は武家に継承され,鎌倉時代から南北朝時代にかけて最も格の高い文書として用いられたが,次第に御教書 (みぎょうしょ) に取って代られ,室町幕府では3代将軍足利義満の頃から御判始の吉書として出される場合を除いて用いられなくなった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「下文」の解説

下文
くだしぶみ

古文書の一形式で,一般に上位者から下位者に与えられた文書
公式令 (くしきりよう) に定められた符にかわって平安時代から現れた。弁官下文が最も早く,院・女御・蔵人 (くろうど) の下文,さらに摂関家政所下文 (まんどころくだしぶみ) ・国司下文・留守所下文など広く用いられた。鎌倉幕府では武家の最も重要な文書とされた。様式は,はじめに「下」の字とその下に宛名を記すのが原則。のち袖判 (そではん) (文書の右端〈袖〉にかかれた花押 (かおう) )を加えた下文も現れた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「下文」の解説

下文
くだしぶみ

「下す」という文言で始まる命令のための文書形式。「下す」の上には命令を出す役所の名が書かれることもあり,「下す」の下には宛名が書かれる。平安時代に発生した弁官(べんかん)下文が最も古く,太政官の役所である左右の弁官局が発行し,「左(右)弁官下す,某」という形で始まる。弁官下文は官宣旨(かんせんじ)ともよばれる。のちには他の役所や,貴族・寺社の執務機関,武士個人からも下文を出すようになった。公家様文書や武家様文書の体系のなかで大きな役割をはたした。

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世界大百科事典(旧版)内の下文の言及

【公家様文書】より

…その淵源は二つに分けられる。一つは奈良時代に,仰せ,命令の意で広く用いられていた宣の系譜を引く内侍宣(ないしせん),宣旨(せんじ),口宣案(くぜんあん),官宣旨(弁官下文),国司庁宣,大府宣などである。内侍宣は,天皇に近侍して奏宣をつかさどる内侍司の女官が天皇の仰せを伝えるものであるが,薬子の変を機に蔵人所が置かれ(810),蔵人が天皇の仰せを,太政官の上卿に伝えるようになった。…

【古文書】より


[分類と様式]
 古文書の内容理解のため,その整理保存のため,その他種々の目的のために,古文書の分類ははやくから行われている。もっとも古典的なものとして,(1)差出人と受取人の関係によって上逮下(下達)文書,下達上(上申)文書,相互(互通)文書という分類方法がある。つぎに(2)国内文書と国際(外交)文書に大別し,前者をさらに公文書,準公文書,私文書に分類する。…

※「下文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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