出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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難波の堀江
なにわのほりえ
難波の堀江は、欽明天皇一三年一〇月に百済の聖明王がわが朝廷に献じた仏像を、崇仏廃仏論争のすえ物部尾輿らの奏によって「難波の堀江に流棄」(日本書紀)したという説話などで有名である。いまも西区に北堀江・南堀江の町名があるが、それによって古代の堀江の所在を推すわけにはいかない。まず堀江についての主要な史料をあげる。
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堀江の場所はこれらの史料によって種々論議されている。おもな説は(一)上町台地の北麓を東から西に流れる天満川(現大川)のこと、(二)長堀川、(三)道頓堀川の前身の堀川、(四)上町台地を現天王寺区上本町二丁目と三丁目の間で横断する空堀通の四説である。このうち有力なのは(一)の天満川説で、早く「帝王編年記」仁徳天皇一一年条に「今山崎河通
海、是堀江也」とあるのも天満川説と考えられるが、「大日本地名辞書」、「帝都」(喜田貞吉)も同説である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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