難波の堀江は、欽明天皇一三年一〇月に百済の聖明王がわが朝廷に献じた仏像を、崇仏廃仏論争のすえ物部尾輿らの奏によって「難波の堀江に流棄」(日本書紀)したという説話などで有名である。いまも西区に
堀江の場所はこれらの史料によって種々論議されている。おもな説は(一)
海、是堀江也」とあるのも天満川説と考えられるが、「大日本地名辞書」、「帝都」(喜田貞吉)も同説である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...