難波大助(読み)なんばだいすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「難波大助」の意味・わかりやすい解説

難波大助
なんばだいすけ
(1899―1924)

大正時代無政府主義者。虎の門事件の犯人。明治32年11月7日、山口県選出衆議院議員難波作之進の四男として生まれる。1919年(大正8)郷里の県立、私立中学を転々とし、高校受験にも失敗して上京、予備校に通い、四谷(よつや)の貧民窟(くつ)近くで生活する。社会主義的な著作、河上肇(かわかみはじめ)の随想的論文「断片」(『改造』1921年4月号)や大逆事件関係資料などを読み、これらに強く影響を受け、無政府主義に近づき、社会に批判の目を向け始めた。22年4月第一早稲田高等学院の文科に入学したが、半年ほど在学ののち中退し、日雇人夫の生活を体験、やがてテロリストの道に進んでいった。23年(大正12)12月27日、第48帝国議会開院式に臨む摂政(せっしょう)宮皇太子裕仁(ひろひと)親王(昭和天皇)を虎ノ門で待ち構えて乗用車に接近してステッキ銃で狙撃(そげき)した(虎の門事件)が、弾丸は命中せず、宮は無事であった。難波大助はその場で逮捕され、翌年11月13日大審院大逆罪として死刑判決が下され、15日に刑の執行を受けた。

[佐藤能丸]

『原敬吾著『難波大助の生と死』再版(1980・国文社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「難波大助」の意味・わかりやすい解説

難波大助 (なんばだいすけ)
生没年:1899-1924(明治32-大正13)

大正期のアナーキスト勤王志士を祖父に地主の四男として山口県で出生。腎臓炎で徳山中学を長期休学,父の横暴に抵抗し,1917年の母の死で単身上京。20年の父の代議士当選にも反発,翌年,遠縁の河上肇の随想の誤読からテロリズムに傾き,22年春入学の早稲田高等学院では佐野学にも影響される。1年で退学帰郷し,伊藤博文の護身用ステッキ銃を入手,関東大震災虐殺に憤激して23年12月,皇太子裕仁を虎の門付近で狙撃し,失敗して捕らえられ(虎の門事件),死刑。
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20世紀日本人名事典 「難波大助」の解説

難波 大助
ナンバ ダイスケ

明治・大正期の無政府主義者



生年
明治32(1899)年11月7日

没年
大正13(1924)年11月15日

出生地
山口県熊毛郡周防村(現・光市)

学歴〔年〕
早稲田高等学院文科〔大正12年〕中退

経歴
大正9年上京。予備校在学中から社会主義に関心を持ち、テロリズムに共鳴。関東大震災後の12年12月27日、東京の虎の門で皇太子(昭和天皇)の自動車に発砲(虎の門事件)。弾丸はそれて失敗したが、そのために処刑された。この事件のために第2次山本内閣は総辞職した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「難波大助」の解説

難波大助

没年:大正13.11.15(1924)
生年:明治32.11.7(1899)
虎の門事件(1923)の当事者,大正期の反逆的な社会運動家。山口県熊毛郡周防村(光市)の旧家に生まれた。父作之進は県会議員,代議士も務めた。母はロク。徳山,鴻城両中学に学ぶが,中退。大正11(1922)年早稲田高等学院に入学。労働運動や社会主義運動にも触れ,12年退学。新聞配達などの労働や木賃宿での底辺生活も経験した。帰郷中の12年,関東大震災の際の官憲の非道ぶりにテロリズムの決行を決意,12月父のステッキ銃を持って上京した。事前に新居格ら新聞記者にテロ決意の手紙を送ったうえで,同月27日東京・虎の門で議会開院式に赴く車中の皇太子(昭和天皇)を狙撃したが,失敗に終わった(虎の門事件)。大審院でも天皇制否定の主張を曲げず,死刑に処された。<参考文献>黒色戦線社編『難波大助大逆事件』,『続現代史資料』

(小松隆二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「難波大助」の解説

難波大助 なんば-だいすけ

1899-1924 大正時代の無政府主義者。
明治32年11月7日生まれ。難波作之進の4男。関東大震災のときの社会主義者虐殺をいきどおり,大正12年12月27日摂政宮裕仁(ひろひと)(昭和天皇)を狙撃(そげき)(虎ノ門事件)。大逆罪で大正13年11月15日死刑。26歳。山口県出身。早稲田高等第一学院中退。
【格言など】日本の権力者に対し反省をうながす道は,テロによる外,他に方法がない(「虎ノ門事件予審調書」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「難波大助」の解説

難波大助
なんばだいすけ

1899.11.7~1924.11.15

大正期のテロリスト。山口県出身。父作之進は衆議院議員。早稲田高等学院中退。テロリズムに共感,関東大震災の虐殺事件で反天皇思想を一層固め,摂政(昭和天皇)暗殺を計画,1923年(大正12)12月27日,帝国議会開院式に向かう摂政を虎の門で狙撃したが失敗。ただちに逮捕され,翌年死刑判決を受け処刑された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「難波大助」の解説

難波大助
なんばだいすけ

1898〜1924
大正時代の無政府主義者
山口県の生まれ。1923年虎の門事件をおこし,翌'24年死刑となる。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

百科事典マイペディア 「難波大助」の意味・わかりやすい解説

難波大助【なんばだいすけ】

虎ノ門事件

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367日誕生日大事典 「難波大助」の解説

難波 大助 (なんば だいすけ)

生年月日:1899年11月7日
明治時代;大正時代の無政府主義者
1924年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の難波大助の言及

【虎の門事件】より

…1923年12月27日午前,帝国議会の開院式に出席する途中の摂政宮裕仁が,東京・虎の門近くで難波大助に狙撃された事件。杖の仕込銃から発せられた弾丸は命中せず,摂政は難を免れた。…

※「難波大助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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