霍去病(読み)かくきょへい(英語表記)Huò Qù bìng

精選版 日本国語大辞典 「霍去病」の意味・読み・例文・類語

かく‐きょへい クヮク‥【霍去病】

中国前漢武帝時代の名将叔父衛青(えいせい)と共に匈奴討伐にあたり、大功をあげた。(前一四〇頃‐前一一七

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デジタル大辞泉 「霍去病」の意味・読み・例文・類語

かく‐きょへい〔クワク‐〕【霍去病】

[前140ころ~前117]中国、前漢武将平陽の人。衛青おい。6回にわたって北西辺の匈奴きょうど討伐を指揮して大勝驃騎ひょうき将軍となったが若くして病死した。

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改訂新版 世界大百科事典 「霍去病」の意味・わかりやすい解説

霍去病 (かくきょへい)
Huò Qù bìng
生没年:前140-前117

中国,前漢武帝時代の将軍。武帝の衛皇后および将軍衛青の甥で,皇后の縁故により18歳で侍中となる。前123年に衛青の匈奴征討に従軍して勇将ぶりを発揮し,前121年には驃騎将軍となる。この年,甘粛方面の匈奴に壊滅的打撃を与えて西部匈奴の渾邪(こんや)王を降服させ,前119年には衛青と出撃して匈奴を漠北に一掃する手柄をたてたが,その2年後に24歳で病死した。

陝西省興平県の武帝の陵墓茂陵(もりよう)の東方およそ1kmのところにある。武帝は,匈奴征討で輝かしい武勲をたてた驃騎将軍霍去病の死を悲しみ,当時寿陵として造営中の茂陵に陪冢(ばいちよう)をつくって葬ったが,その形状は彼の武功を顕彰するために祁連山(きれんざん)にかたどったといわれている。茂陵の陪冢にはほかに衛皇后,衛青,霍光墓などがあるが,霍去病墓だけにみられる特徴としては,花コウ岩の大型石彫のあることである。中でも有名なのは,上向きに倒れた匈奴と思われる胡人を,脚下に踏んで直立した馬の石彫で,匈奴を撃破した将軍の墓前を飾るにふさわしい造形を示している。そのほかには象,牛,馬,猪,羊,亀,魚や怪物などがあり,全部で16件が残っている。石人石獣のさきがけをなすもので,漢代の制作であることは疑いなく,ほかに比較すべき類例をみない,特異な石刻芸術として注目される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「霍去病」の意味・わかりやすい解説

霍去病
かくきょへい
(前140―前117)

中国、前漢の武帝期に匈奴(きょうど)討伐で著名な武人。衛(えい)皇后の甥(おい)にあたり、戦術に天賦の素質を発揮した。六度出兵して斬首(ざんしゅ)・捕虜11万余。渾邪(こんや)王を降(くだ)し、河西・酒泉を置いて辺境地帯を鎮めた。紀元前119年、衛青(えいせい)とともに匈奴の根拠地を攻め、外モンゴルの狼居胥山(ろうきょしょさん)に至った。その功績により、衛青と並称されたが、24歳の若さで夭折(ようせつ)した。彼は皇帝に忠誠で、戦術においては伝統的な孫子・呉子の兵法にこだわることなく、速度と距離に重点を置く騎兵を主力に採用した。先輩李広(りこう)らの防御戦術から脱皮したので、初めて匈奴を抑えることができた。『史記』の叙述は去病にやや冷淡であるが、それは司馬遷(しばせん)の外征に対する批判的態度を示すものである。墓は武帝の茂陵(もりょう)の近傍に、衛青のそれと隣り合わせにある。現在はそこに文物管理所が設けられていて、茂陵周辺の漢代を中心にした出土品が数多く展示されている。とりわけ胡人(こじん)を踏む石馬は有名である。

[好並隆司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「霍去病」の意味・わかりやすい解説

霍去病
かくきょへい
Huo Qu-bing; Huo Ch'ü-ping

[生]建元1(前140)?
[没]元狩6(前117)
中国,前漢の武帝時代の武将。衛皇后および衛青の姉の子。衛青の匈奴遠征に従って功を立て,冠軍侯に封じられた。次いで票騎 (ひょうき) 将軍として匈奴を討ち,匈奴諸王や王子を殺し捕虜としたので,渾邪 (こんや) 王は一族を率いて漢にくだった。元狩4 (前 119) 年には大将軍衛青とともに匈奴の根拠地を討ち斬首7万に及んで,その権勢は衛青をしのいだが,まもなく病死した。武帝はその功を表して墓を茂陵 (西安北西方) に造らせた。墓と胡人をふまえた石馬が現存する。

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百科事典マイペディア 「霍去病」の意味・わかりやすい解説

霍去病【かくきょへい】

前漢の武帝時代の武将。叔父衛青に続いて匈奴(きょうど)を討ち,大功をあげた。24歳で病死。墓は陝西省興平県の武帝陵のそばに現存。墓前の石馬は有名。
→関連項目石人石獣

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「霍去病」の解説

霍去病(かくきょへい)
Huo Qubing

前140頃~前117

前漢武帝のときの武将。叔父衛青とともにしばしば匈奴(きょうど)を討ち,特に甘粛方面の平定,モンゴル高原の根拠地の覆滅に大功を立てた。24歳で病死。その墓は武帝陵の側につくられ現存する。

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世界大百科事典(旧版)内の霍去病の言及

【漢代美術】より

…この国力を背景に武帝は積極的に領土を広げ,宿願の匈奴征討を果たし,西域との通交も開かれた。この武帝の覇業を示すのは前漢諸帝陵中最大の茂陵とその陪冢(ばいちよう)の霍去病(かくきよへい)の墓である。墳丘全体を祁連(きれん)山に見たて,そこに巨石の丸彫による牛・馬その他の彫像を配する。…

【祁連山脈】より

…4000m以上では氷河が発達し河西回廊の水源となる。山ろくにはチベット族,河西回鶻(かいこつ)の子孫ユーグ(裕固)族などが居住,焉支(えんし)山一帯には漢の霍去病(かくきよへい)によって官営養馬場が開かれて以来,軍馬飼育場が発展している。【駒井 正一】。…

※「霍去病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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