日本大百科全書(ニッポニカ) 「頴田」の意味・わかりやすい解説
頴田
かいた
福岡県中北部、嘉穂郡(かほぐん)にあった旧町名(頴田町(まち))。現在は飯塚(いいづか)市の北東部を占める。旧頴田町は1959年(昭和34)町制施行。2006年(平成18)飯塚市に合併。旧町域の東部は古第三紀層と花崗(かこう)岩からなる丘陵地で、西部は遠賀(おんが)川とその支流の庄内(しょうない)川の沖積低地が広がり、国道200号、201号が通じる。1886年(明治19)の明治炭鉱開鉱以来、炭鉱町として発展してきたが、筑豊(ちくほう)ではもっとも早く石炭不況の波を受け昭和40年代初め炭鉱はすべて閉山。炭鉱離職が進行し、1970年(昭和45)には人口減少率は最大となったが、その後、住宅団地が造成され、わずかずつ増加に転じている。南部の烏尾(からすお)峠付近には筑豊緑地やゴルフ場がある。鹿毛馬の神籠石(かけのうまのこうごいし)は国の史跡に指定されている。
[石黒正紀]
『『頴田町誌』(1959・頴田町)』▽『『頴田町史』(1984・頴田町)』