日本大百科全書(ニッポニカ) 「筑穂」の意味・わかりやすい解説
筑穂
ちくほ
福岡県中央部、嘉穂郡(かほ)にあった旧町名(筑穂町(まち))。現在は飯塚(いいづか)市の南部を占める。旧筑穂町は1955年(昭和30)上穂波(かみほなみ)、内野(うちの)の2村と大分(だいぶ)村の一部が合併して町制施行。2006年(平成18)飯塚市に合併。旧町域の西部から南部は三郡(さんぐん)山(936メートル)を中心とする山地帯で、北流する穂波川が小沖積低地を形成、北東部には古第三紀層の丘陵が起伏する。JR筑豊(ちくほう)本線が篠栗(ささぐり)線を分岐し、国道200号と並走する。また、北部を八木山(やきやま)バイパスが通る。筑豊炭田の南西部にあたり日本製鉄嘉穂炭鉱が1970年まで操業していた。主産業は農業で、稲作やナス・キュウリなどの野菜栽培、酪農・肥育牛・養鶏などの畜産が行われ、林業も盛んである。国指定史跡の大分廃寺塔跡や神功(じんぐう)皇后ゆかりの大分八幡宮があり、内野は筑前六宿(ちくぜんむしゅく)の一つとして知られる宿場町であった。
[石黒正紀]
『矢野久編『筑穂町誌』(1962・筑穂町)』▽『『筑穂町誌』全2巻(2003・筑穂町)』