顔の認知(読み)かおのにんち(英語表記)face recognition

最新 心理学事典 「顔の認知」の解説

かおのにんち
顔の認知
face recognition

人は,顔を一瞬見るだけで,人種性別,年齢を判断したり,既知人物か否か,その人がだれであるかを認識できる。さらに,顔の表情や視線の動きから,その人の感情や,今,何に注意を向けているかといった心の状態を知ることもできる。このように,人が顔から読み取ることのできる情報は多様であり,そうした情報を迅速かつ正確に知覚することは,人が適応的な対人行動を取るうえでたいへん重要である。顔の知覚の主要な機能は,個人を見分けることと個人の状態を見分けることにある。脳損傷などが原因で顔の知覚の心的機構が障害され,こうした情報の読み取りが困難になると,対人行動やコミュニケーションに重大な支障をきたすことになる。

【顔の認知特徴】 1990年代以後,顔の知覚や認知過程の心理機構・神経機構に関する研究が飛躍的に増加し,人の脳の高次視覚野には顔の認知にとってとくに重要な脳領域(紡錘状回)や,表情・視線の認知に関与する脳領域(上側頭溝)があることがわかってきた。これらの領域が損傷されると,顔の認知や表情認知に重篤な認識障害が起こることが知られており,たとえば,紡錘状回の損傷では,よく知っている人の顔を見てもその人がだれなのかがわからなくなるという,相貌失認prosopagnosiaとよばれる認識障害が報告されている。

 生後数時間の新生児が,顔に似た特徴配置の視覚パターンを選好注視する傾向があることから,人の乳児には顔貌のパターンを検出する生得的な機構がある可能性が示唆されている。新生児に限らず,偶然見かけた雲の形あるいは蝶の羽の紋様などが「顔に見える」といったことは,多くの人が共有するなじみ深い経験であることからも,人には,特定の特徴配置をもった視覚パターンを「顔」として知覚する強い傾向があることがうかがえる。

 顔写真ネガフィルムで見るとだれの顔かが極端に認識しづらくなることや,照明方向の変化で同一人物の顔の認識精度が大きく変動するといったように,顔の知覚が顔以外の対象とは異なる知覚特性があることは古くから知られてきた。そのことを端的に示すのが,顔の倒立効果inversion effectである。顔は,正立で見ると,個性も表情も瞬時に知覚されるが,倒立にすると非常にわかりにくくなり,その落差は大きい。家や乗り物など,普段正立像で見慣れている物体と比較しても,倒立像での知覚の困難度は,顔の場合にとくに顕著である。サッチャー錯視Thatcher illusionは,この点を印象的に示す例としてよく知られている。顔写真の目と口の部分のみ,それぞれ180°回転させて合成写真を作成すると,異様な表情の顔写真となって,元の顔写真との差異が際立つが,その写真を逆さまにすると,元の顔写真の倒立像と並べて見比べても,両者の差異はほとんどわからなくなってしまうのである。

 特定の特徴配置が,「顔」として知覚されるだけでなく,その特徴配置が一つのまとまり,すなわちゲシュタルトとして知覚されることも,顔の知覚のユニークな特性である(全体処理holistic processing)。これを示す例に合成顔効果composite effectがある。眼の下の部分を境に,ある人物の顔写真を上下に分け,下半分を別人の顔写真と取り替え,2名の人物の顔を合成した顔画像を作成する。そうすると,顔画像の上部あるいは下部のみを提示した場合と比べて,合成した顔画像から元の人物を認識することは困難になる。合成顔は,実際には上下が別人の顔なのだが,それを組み合わせることで,全体が一人の(新たな)人物の顔として知覚されてしまうからである。一方,この合成顔を逆さまにすると,全体処理の影響が弱まって,元の人物の認識はしやすくなる。

 顔の知覚の正常な発達には,生後2ヵ月間ほどの間の,顔の知覚経験,とくに右半球視覚野への顔情報の入力が非常に重要であることも明らかになってきた。その時期に,先天性白内障などの眼科疾患の治療のために視覚刺激が遮断されて右視覚野への入力がない状態になると,顔の知覚には永続的な障害が残ることが報告されている。正常な顔の知覚の神経基盤の形成にはこの時期の知覚経験が不可欠であると考えられる。

【顔の認知プロセス】 顔を見て,その人がだれであるかを認知するプロセスは,主観的には一瞬の出来事だが,代表的な顔認知モデルface recognition modelでは,「顔の特徴を見分ける→記憶内にある,既知人物の顔イメージが活性化されて,知っている顔だとわかる→その顔の人物と連合している情報が検索される→名前が検索される」というように継時的に進むと考えられている。たとえば,顔を見て「知っている顔だ」という感覚はあってもそれ以外の情報は何も思い出せなかったり,職業やどこで会った人かといった情報は思い出せても名前だけがどうしても思い出せないといったような,日常場面でよく経験される顔の認知の失敗は,顔の認知プロセスの一部がうまく機能しないことによる。相貌失認の患者に顔写真を見せ,認知のテストをしてみると,顔を見てその人が既知の人かどうかを判断することは非常に困難だが,名前を聞いてその人の顔のイメージを思い浮かべることは可能であり,似顔絵を描くことさえできる場合があることがわかってきた。このことから,相貌失認では,知覚した顔の視覚情報を既知の顔の視覚表象と照合するプロセスに問題があると考えられる。

【顔の表象】 一人ひとりの顔には個性があり,個性の強さはさまざまである。非常に個性的で印象に残る顔もあれば,「普通の顔」「目立たない顔」もある。こうした個々の顔の視覚表象については,顔の原型face prototypeとの類似度に基づく符号化という考え方が注目されている。顔の原型というのは,過去に知覚された多くの顔の,平均的な視覚特徴で構成される顔の表象と考えられている。モーフィングmorphingという画像処理によって,複数の顔の輪郭や目鼻口の形状,皮膚の色などを平均化して作成した平均顔average faceは,顔の原型を表わす顔画像とみなすことができる。たくさんの顔写真を集め,それぞれの顔の「個性の強さ」の評定を行なうとともに,平均顔との類似度評価を行なって,個性の強さの評定値と平均顔との類似度の関係を調べると,負の相関があることがわかった。個性の強い顔ほど顔の原形とは異なる特徴を有し,記憶もしやすい。

 モーフィングで作成した平均顔は,肌が滑らかで左右対称の端整な顔になり,魅力度の判断をすると,概して魅力的な顔と判断されることがわかってきた。女性の平均顔と男性の平均顔から,両者の差異を誇張したり弱めたりすることで女性性・男性性の度合いの異なる顔画像を作成し,魅力度判断を行なうと,多少の文化差は見られるものの,男女とも女性性の強い顔が魅力的と判断されることが報告されている。性差を表わす顔の特性と魅力判断の関係をどう説明するかについては,性淘汰といった進化心理学的な観点からも研究が進められている。
〔吉川 左紀子〕

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