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仁賢天皇 にんけんてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

仁賢天皇
にんけんてんのう

第 24代に数えられる天皇。在位 11年といわれる。名,オケノミコト (億計尊) 。市辺押磐皇子の皇子。母ははえ媛。『古事記』『日本書紀』の伝によれば,市辺押磐皇子がオオハツセワカタケノミコト (雄略天皇) に殺されたとき,弟のオケノミコト (弘計尊。のちの顕宗天皇) とともに丹波に逃れ,さらに播磨の縮見屯倉首忍海部造細目 (しじみのみやけのおびとおしみべのみやつこほそめ) の家僕となった。のち清寧天皇の2年播磨の国司に見出されて,清寧天皇の太子に迎えられた。天皇の死後,位を弟のオケノミコトに譲り,その顕宗天皇の死後即位した。大和石上 (いそのかみ) 広高宮に都し,雄略天皇の娘春日大娘皇女を皇后とした。陵墓は大阪府藤井寺市青山の埴生坂本陵。

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デジタル大辞泉の解説

にんけん‐てんのう〔‐テンワウ〕【仁賢天皇】

記紀で、第24代の天皇。父は磐坂市辺押磐(いわさかのいちべのおしわ)皇子。名は億計(おけ)。父が雄略天皇に殺されると難を避けて播磨(はりま)に逃れたが、清寧天皇皇太子に迎えられ、天皇の没後、弟弘計(おけ)王(顕宗天皇)に皇位を譲り、その没後即位したという。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

仁賢天皇 にんけんてんのう

記・紀系譜による第24代天皇。在位は5世紀末ごろ。
父は市辺押磐(いちのべのおしはの)皇子。母は荑媛(はえひめ)。「日本書紀」によると,履中天皇の孫で,顕宗天皇の同母兄。父が雄略天皇に殺され播磨(はりま)に潜伏していたが,清寧天皇にむかえられ,弟のあと即位した。都は石上(いそのかみ)の広高(ひろたかの)宮。仁賢天皇11年8月8日死去。墓所は埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)(大阪府藤井寺市)。諱(いみな)は大脚(おおし)。字(あざな)は嶋郎(しまのいらつこ)。別名に億計天皇(おけのすめらみこと)。

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大辞林 第三版の解説

にんけんてんのう【仁賢天皇】

記紀で第二四代天皇、億計尊おけのみことの漢風諡号しごう。履中天皇皇子、市辺押磐いちのべのおしわの第一皇子。父を雄略天皇に殺され、一時播磨に逃れた。皇位を弟顕宗天皇に譲り、その死後即位した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

仁賢天皇
にんけんてんのう

生没年不詳。記紀では第24代の天皇とする。「意祁命(おけのみこと)」「億計王(おけのみこ)」とも記し、市辺押磐(いちべおしは)皇子の子という。『日本書紀』の顕宗(けんそう)天皇即位前紀に引用する「譜第(ついでのふみ)」には、別名を島稚子(しまのわくご)、大石尊(おおしのみこと)と伝える。『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』には於奚(おけ)天皇とみえる。父の市辺押磐皇子が雄略(ゆうりゃく)天皇に殺された際、弟の袁祁命(おけのみこと)(弘計(おけ)王)とともに丹波(たんば)へ逃れ、さらに播磨に身を潜めたと記す。清寧(せいねい)天皇なきあと、弟の袁祁命が即位し(顕宗天皇)、ついで王位を継承した。墓は埴生坂本(はにうさかもと)陵(大阪府藤井寺市)とする。[上田正昭]

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世界大百科事典内の仁賢天皇の言及

【億計天皇・弘計天皇】より

…弟の弘計天皇は23代顕宗(けんぞう)天皇,兄の億計天皇は24代仁賢(にんけん)天皇。17代履中天皇の孫。…

※「仁賢天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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