飯舘(読み)いいたて

日本大百科全書(ニッポニカ) 「飯舘」の意味・わかりやすい解説

飯舘(村)
いいたて

福島県北東部、相馬郡(そうまぐん)にある村。阿武隈高地(あぶくまこうち)の標高約450メートルの準平原に位置する。1956年(昭和31)大舘、飯曽(いいそ)の2村が合併して成立。国道399号が通じる。かつては馬産地であったが、現在は牧牛が盛んで、「飯舘牛」として知られる。高冷地で稲作は不安定であるが、シイタケ、葉タバコ、高原野菜の生産に力を注いでいる。真野川沿いの大倉地区に多目的の真野ダムがある。ダム湖は「はやま湖」と命名され、周囲は公園として整備されている。面積230.13平方キロメートル、人口1318(2020)。

原田 榮]

〔東日本大震災〕2011年(平成23)の東日本大震災では死者42人・行方不明1人、住家半壊1棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。あわせて東京電力福島第一原子力発電所の原発事故による放射能汚染によって避難指示区域(のちに避難指示解除準備区域居住制限区域帰還困難区域再編)となった。2016年7月には福島市飯野(いいの)町に出張所として設けられていた役場村内に戻り、2017年に帰還困難区域に指定された南部の一部地域を除いて避難指示は解除された。しかし、2019年(令和1)7月1日時点で、県内避難者は1507世帯・3997人、県外避難者は136世帯・243人を数え、村内居住者は654世帯・1324人(うち帰還567世帯・1169人)にすぎない(飯舘村「避難状況」)。

[編集部 2019年10月18日]

『『飯舘村史』全3巻(1976~1979・飯舘村)』


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改訂新版 世界大百科事典 「飯舘」の意味・わかりやすい解説

飯舘[村] (いいたて)

福島県北東部,相馬郡の村。人口6209(2010)。阿武隈高地北部の丘陵地にあり,真野川,新田川の上流域を占める。近世は相馬藩領山中郷と呼ばれ,飯樋には藩の陣屋が置かれた。現在の中心集落草野は浜通りと中通りを結ぶ交通の要地にあり,近世には問屋場が置かれ,物資の集散,人馬の継立てでにぎわった。古くから馬産が盛んで草野,飯樋には馬市が立ったが,第2次世界大戦後衰退し,近年は肉牛,乳牛の飼育に変わった。また米作やタバコやインゲンなどの高冷地野菜の栽培も行われる。高冷地で偏東風の影響も受けやすく,近世にはしばしば飢饉にみまわれ,豊作を祈願する田植踊(県重要無形文化財)が伝えられている。2011年3月の福島原発事故に際し,村役場機能を福島市に移転した。
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百科事典マイペディア 「飯舘」の意味・わかりやすい解説

飯舘[村]【いいたて】

福島県の浜通り北部,相馬郡の村。阿武隈高地にあり,北部を真野川が,南部を飯樋川や新田川が,それぞれ太平洋岸へ流れる。このうち真野川には真野ダムが建設され,はやま湖をなす。伊達市月舘から葛尾村へ,国道399号が通じる。福島第一原発事故に伴い,村内は放射性物質の濃度が上昇し一部地域は帰還困難区域,大半の地域が居住制限区域に指定され,多くの住民が自宅へ完全には戻れない状況が続いている。230.13km2。6209人(2010)。

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