日本歴史地名大系 「館林城跡」の解説
館林城跡
たてばやしじようあと
東西三キロに及ぶ
享徳の乱中の文明三年(一四七一)には、赤井氏は古河公方足利成氏に属したので、山内上杉氏家臣長尾景信らに攻められて落城している(同年九月一七日「足利義政感状写」御内書符案)。この時城に立籠ったのは赤井文三(信濃入道)・文六で、城は湖水が三方を巡っているので、陸路をふさぎ、西向きの陸地篠崎という地に寄手の諸家が順番に警備して舟行を留めて、兵糧攻めにして降したという(松陰私語)。赤井氏はその後足利成氏方の反攻で城を回復している。永禄五年(一五六二)二月には越後から関東へ侵攻してきた上杉輝虎の攻撃を受け、赤井照康は降伏して城を退去した。この時
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報