館柳湾(読み)タチリュウワン

デジタル大辞泉 「館柳湾」の意味・読み・例文・類語

たち‐りゅうわん〔‐リウワン〕【館柳湾】

[1762~1844]江戸後期の漢詩人。越後の人。名は機、あざなは枢卿、柳湾は号。亀田鵬斎ほうさいに学ぶ。下級役人として飛騨高山などに赴任、退官後は江戸の目白台で詩作専念著作に「柳湾漁唱」「林園月令」など。

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精選版 日本国語大辞典 「館柳湾」の意味・読み・例文・類語

たち‐りゅうわん【館柳湾】

  1. 江戸後期の漢詩人。名は機。字(あざな)は枢卿。通称雄二郎。越後(新潟県)の人。江戸に出て亀田鵬斎に学び、幕府仕官して飛騨高山に赴任。免官後は江戸目白台に閑居し、詩壇に益した。中晩唐にならい、清純温雅の詩風を旨とする。著に「柳湾漁唱」など。宝暦一二~弘化元年(一七六二‐一八四四

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改訂新版 世界大百科事典 「館柳湾」の意味・わかりやすい解説

館柳湾 (たちりゅうわん)
生没年:1762-1844(宝暦12-弘化1)

江戸後期の漢詩人。名は機,字は枢卿,通称は雄二郎。新潟の人。商家に生まれたが,早くに江戸に出,天領支配の代官小吏となった。飛驒郡代に従って1800(寛政12)年から04(文化1)年まで飛驒高山に住した以外は,短期間地方へ出張したことはあるが,江戸に住した。江戸に出た当初から亀田鵬斎について詩を学び,しだいに詩名を揚げ,身分をこえて林述斎松崎慊堂大窪詩仏など当代の名流と親交を結んだ。その詩は《柳湾漁唱》初集~三集に収められる。初期の繊細巧緻から晩年の淡雅清洒へと詩風は変化するが,愛唱すべきものが多い。また《晩唐十家絶句》の校訂出版など,晩唐詩の紹介にも力を尽くした。
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朝日日本歴史人物事典 「館柳湾」の解説

館柳湾

没年:弘化1.4.13(1844.5.29)
生年:宝暦12.3.11(1762.4.5)
江戸中・後期の漢詩人。名は機,字は枢卿,通称は雄次郎,号は柳湾,石香斎。新潟の廻船問屋小山安兵衛の次男。幼くして両親に死別,父方の館家に育てられて館氏を称した。初め新潟の高田仁庵に学び,のち江戸に出て亀田鵬斎に従学,江戸幕府勘定奉行配下の下役となった。飛騨郡代小出大助の元締手付として高山に赴任したほか,相模,出羽などの代官の元締手付を勤め,文政10(1827)年66歳で引退,以後は江戸目白台に住んで漢詩人として活躍する。中・晩唐風の温雅清純な抒情・叙景詩を得意とし,永井荷風が好んで愛誦した。詩集に『柳湾漁唱』,編著に漢詩歳時記『林園月令』がある。<参考文献>渡辺秀英『館柳湾』,鈴木瑞枝『館柳湾・人と詩』

(揖斐高)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「館柳湾」の解説

館柳湾 たち-りゅうわん

1762-1844 江戸時代中期-後期の漢詩人。
宝暦12年3月11日生まれ。江戸で亀田鵬斎(ほうさい)にまなぶ。のち幕府勘定奉行配下の役人となり飛騨(ひだ)高山などに赴任。松崎慊堂(こうどう),大窪詩仏らとまじわった。天保(てんぽう)15年4月13日死去。83歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本姓は小山。名は機。字(あざな)は枢卿。通称は雄次郎。詩集に「柳湾漁唱」など。

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367日誕生日大事典 「館柳湾」の解説

館柳湾 (たちりゅうわん)

生年月日:1762年3月11日
江戸時代中期;後期の漢詩人
1844年没

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