高安城跡(読み)たかやすのきあと

日本歴史地名大系 「高安城跡」の解説

高安城跡
たかやすのきあと

「日本書紀」天智天皇六年(六六七)一一月条に初見。古代の難波なにわ(現東区)のあった上町うえまち台地や大和川の流れていた河内の平野部を望む高安山を中心に築造されていたとみられる。河内側の急崖を利用して防御正面とし、大和側の緩傾斜山地を利用して官舎米穀・塩を貯蔵する倉庫群を配置したものと考えられる。

「日本書紀」には「是の月に、倭国の高安城、讃吉国の山田郡屋島城やしまのき対馬国の金田城かなたのきを築く」とあり、この時初めて築城されたことを示すが、「続日本紀」文武天皇二年(六九八)八月二〇日条には「修理高安城天智天皇五年築城也」とある。白村江の戦で唐と戦って敗れたわが国は、その後、唐に侵攻されるかもしれないという脅威を感ずることとなった。こうした状況のもとに築造されたと考えられ、城近くには高安烽も置かれた。


高安城跡
たかやすのきあと

[現在地名]平群町大字久安寺、三郷町大字南畑、大阪府八尾市

高安山付近にあった城。天智天皇二年の白村江の敗戦後、大陸からの侵寇に備えて、同六年一一月屋島やしま(現香川県)や対馬の金田かなた(現長崎県)とともに築かれた。畿内唯一の朝鮮式山城。天武天皇元年の壬申の乱では争奪の対象となり、その際、城の倉庫は近江軍によってことごとく焼払われた。天智・天武・持統元明天皇ら、代々の天皇がこの城に行幸している(日本書紀、続日本紀)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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