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高安城 たかやすじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高安城
たかやすじょう

奈良県と大阪府にまたがる高安山 (488m) の山頂と山腹に天智天皇6 (667) 年につくられたとみられる古代の朝鮮式山城。天智天皇2 (663) 年白村江の戦いに敗れ,唐・新羅連合軍による侵略の危機にさらされたため,讃岐国 (香川県) 山田郡の屋島城,対馬国 (長崎県) の金田城などとともに築かれた。天智天皇8年畿内の田祖を高安城に収納し,さらに天智天皇9年には穀類と塩を収納して籠城に備えたものと思われる。

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デジタル大辞泉の解説

たかやす‐じょう〔‐ジヤウ〕【高安城】

大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群(へぐり)町の境にある高安山にあった古代の山城。天智天皇6年(667)築城。昭和53年(1978)発掘調査が行われた。

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百科事典マイペディアの解説

高安城【たかやすじょう】

大和と河内(かわち)の境をなす生駒(いこま)山地の南端にある高安山(488m)に築かれた古代の山城。城域は現奈良県平群(へぐり)町・三郷(さんごう)町と大阪府八尾市にまたがると推定されている。
→関連項目丹比道

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世界大百科事典 第2版の解説

たかやすじょう【高安城】

生駒山脈の南端部,奈良県と大阪府にまたがる高安山(488m)山頂を中心に築かれた山城。白村江の戦で敗れた後,西日本各地に築かれた城の一つで,667年(天智6)に讃岐の屋島城,対馬の金田(かなだ)城とともに築かれた。672年(天武1)の壬申の乱で戦火にあったが,701年(大宝1)に廃城となるまで修理が加えられていた。また,712年(和銅5)まで烽(とぶひ)も置かれていた。早くから生駒山脈の西側断層面を防御正面にした高安山の山頂から東に続く信貴(しぎ)山を含む一帯が城跡に比定されていたが,高安山は南北朝時代の山城に,信貴山は松永久秀の居城となるなど後世の改変が多いためか,具体的な古代の遺構が確認されないままであった。

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大辞林 第三版の解説

たかやすじょう【高安城】

八尾市と奈良県生駒郡平群へぐり町の境にある高安山(488メートル)にあった古代の城塞。付設の高安の烽ほうは712年廃止。1978年(昭和53)発掘。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高安城
たかやすじょう

大阪府八尾(やお)市と奈良県生駒(いこま)郡平群(へぐり)町の境にある高安山(標高488メートル)に擬定されている古代の山城(やまじろ)。当城は、663年(天智天皇2)の百済(くだら)救援の役(白村江(はくそんこう)の戦い)での敗戦後、北九州から瀬戸内海沿岸に築かれた山城とともに大和(やまと)防衛の目的をもって、667年に築造された。『日本書紀』によれば、701年(大宝1)に廃止されるまでの間、4回の天皇行幸があり、畿内(きない)の田税や穀・塩が収納され、また壬申(じんしん)の乱(672)に際しては、吉野軍が高安城の近江(おうみ)軍を攻め、税倉が焼かれている。従来その遺構は不明であったが、1978年(昭和53)に高安山山頂付近から、6棟分に相当する礎石建物群が発見されたことによって、高安城の倉庫遺構ではないかとされているが、なお今後の調査に待つところが大きい。[酒寄雅志]
『高安城を探る会編・刊『夢ふくらむ幻の高安城』第3集(1978)』

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