高岡城跡(読み)たかおかじようあと

日本歴史地名大系 「高岡城跡」の解説

高岡城跡
たかおかじようあと

[現在地名]高岡市古城

関野せきのとよばれた台地上に位置し、現在の大字古城こじようにあたる。西方千保せんぼ川と小矢部おやべ川、東方を庄川が流れる。慶長一四年(一六〇九)築城で、前田利長の居城であった富山城が火災によって焼失したため、一時魚津城に移った利長が当地を選び築城した。「三州志」は高山南坊(右近)縄張りを行ったと伝える。慶長一四年四月六日、徳川家康より「居城普請之儀何方にても其方次第候」と新規築城の許可を得て(「徳川家康書状」加藩国初遺文)、工事に着手した。


高岡城跡
たかおかじようあと

[現在地名]鈴鹿市高岡町 茶山・宮谷

標高五〇メートルの高岡山たかおかやま丘陵平野に臨む突端にある山城。南と東とは鈴鹿川がめぐり、北には深い谷が入込む要害の地。西方は台地続きであるので、深さ・幅ともに約四メートル、長さ五〇メートルの空堀で断ち切られている。空堀の東側は土塁状に高く連なる。そばの高岡山二号古墳は城の望楼などの施設があった所かもしれない。神戸かんべ城の北の防御拠点で、約三キロ隔たっている。

城主は神戸家奉行の一人山路弾正種常。永禄一〇年(一五六七)織田信長軍の攻囲にも屈せずよく防いだが、翌年第二回の侵攻にあたっては信長が三男三七郎(信孝)を神戸友盛の養子として神戸家と和睦した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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