高田渡

共同通信ニュース用語解説 「高田渡」の解説

高田渡

反戦反貧困、日常の中の孤独メッセージに込めて歌った代表的なフォーク歌手の一人。1960年後半から活躍した。初期は関西を中心に活動し、後に拠点を東京・吉祥寺周辺に移す。酒を愛し、酔っぱらったままステージ上で歌い、そのまま眠ってしまったとの逸話を持つ。2005年4月、北海道白糠町でのライブ終了後に倒れ、心不全のため死去。享年56歳。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高田渡」の解説

高田 渡
タカダ ワタル


職業
シンガー・ソングライター

グループ名
旧グループ名=武蔵野タンポポ団(ムサシノタンポポダン)

生年月日
昭和24年 1月1日

出生地
岐阜県

経歴
四人兄弟の末っ子詩人だった父は戦前校正者を務め、戦後は一時日本共産党に入って活動。その後、東京に出て日雇い労働者をしていた。貧しい少年時代を送り、中学卒業後は父の勧めで文選工となった。昭和42年18歳の時に父を失うと、親戚のいた佐賀県に移って夜間高校に通うが、夏には東京に戻る。市ヶ谷高定時制に通う傍ら、ピート・シガーやウディ・ガスリーなどの米国のフォークソングに明治大正の演歌や現代詩を乗せるという曲作りを始め、特に沖縄の詩人・山之口貘の詩に傾倒。そのうちの一つ「生活の柄」は代表作となり、平成11年には山之口の詩「告別式」「座布団」「鮪に鰯」「頭をかかえる宇宙人」などに曲をつけた作品ばかりを収めたアルバム「貘」を制作している。昭和43年京都で行われた第3回関西フォークキャンプに参加、自衛隊を皮肉った「自衛隊に入ろう」で一躍その名を知られた。44年URC(アングラレコードクラブ)から五つの赤い風船とのカップリングアルバム「高田渡 五つの赤い風船」でレコードデビュー。世相を逆説的に風刺した歌で岡林信康らと並んで日本のフォークソングの草分けとして活躍、ぼそぼそとつぶやくようなギターの弾き語りスタイルで、“日本の吟遊詩人”とも呼ばれた。46年「ごあいさつ」、47年「系図」、48年「石」とベルウッドレーベルから3枚のアルバムをリリース、50年には細野晴臣、中川イサトの2人と米国ロサンゼルスに赴き、ヴァン・ダイク・パークスや現地でたまたま出会った旧知の山岸潤史らも参加した米国録音のアルバム「FISHIN’ ON SUNDAY」を制作。シバ、若林純夫らと結成した武蔵野タンポポ団、佐久間順平、小林清、大庭珍太とのヒルトップ・ストリングス・バンドでも活動した。1970年代以降は東京・吉祥寺を拠点に全国の小さな会場を回るツアーを続けたが、平成17年公演先の北海道で倒れ、56歳で亡くなった。飄々とした佇まいで、晩年に至っても自らがうたう歌の世界と一致した質素な生活を続け、仲間たちやファンから敬愛された。酒を飲んだままステージに上がり、歌の途中で居眠りしてしまうこともたびたびだった。代表曲に「自転車に乗って」「コーヒーブルース」「値上げ」「長屋の路地に」「鎮痛剤」「鉱夫の祈り」「ブラザー軒」「夕暮れ」、アルバムに「ねこのねごと」「渡」「日本に来た外国詩…。」などの他、自伝エッセイ「バーボンストリートブルース」がある。16年には日常生活を追った映画「タカダワタル的」が、20年にも映画「タカダワタル的ゼロ」が公開された。長男の高田漣もスティール・ギター奏者として活躍する。

没年月日
平成17年 4月16日 (2005年)

家族
長男=高田 漣(ミュージシャン),父=高田 豊(詩人)

伝記
高田渡と父・豊の「生活の柄」ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち暴いておやりよドルバッキー旅の途中―巡り合った人々1959-2005日本フォーク私的大全 本間 健彦 著岩田 由記夫 著大槻 ケンヂ 著筑紫 哲也 著なぎら 健壱 著(発行元 社会評論社ウェイツぴあ朝日新聞社筑摩書房 ’09’09’07’05’99発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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