仏像の頭上にかざす蓋(きぬがさ)をいう。天空にあり,しかもつねに仏の頭上にあるところから華蓋,宝蓋,懸蓋などとも呼ばれる。これは仏の威信の象徴であり,仏の徳を讃嘆するものであり,後に仏を供養し,荘厳(しようごん)するものとなった。天蓋の歴史は古く,釈迦在世の時代までさかのぼると考えられる。当時インドの王侯や貴族は炎暑や熱風,あるいは塵埃を避けるため,従者や下僕に傘蓋(さんがい)をかざさせたもので,貴人の外出には必需の品であった。サーンチーの仏塔をはじめ,多くの仏塔の頂上に2重,3重,あるいは5重,7重と円板を重ねたように見えるものは,多くの在俗の信者たちが寄進した傘を一木の刹(さつ)に連らね,これを頂上にかざしたものであるが,日本ではこれを相輪,九輪と呼ぶ。これもいわば天蓋の一種,あるいはその起源的なものといえる。仏像が出現して後はその頭上に菩提樹の樹葉を円形にまとめて造ったものや,蓮華その他の瑞花をもって華蓋とするものが見られ,飛天がこれを奉持するものさえある。インドのアジャンターやエローラなどの石窟寺院の天井に蓮華を描いたり彫出するものがあり,敦煌莫高窟(ばつこうくつ)の天井なども蓮華を中心に全体を加飾彩色し,天蓋,宝蓋を象(かたど)るように造っている。雲岡石窟でも大きな蓮華を天井に彫出する例がある。6世紀なかば仏教が日本に公伝したとき,百済から釈迦仏金銅像1軀とともに〈幡(はた),蓋(きぬがさ)と経論若干〉がもたらされている。このことは,礼拝の対象として安置する仏像には,幡,蓋が欠くべからざるものであることを物語っている。言いかえれば,天蓋さえあれば仏像をいずこに安置するとも,その必要十分な条件を具備するものであったということである。これは仏像に限らず仏舎利にもいえることである。仏殿,堂舎が建てられ,その中に仏像が安置される場合に,この天蓋がつねに必須のものとなり,その伝統は今日に及んでいる。
天蓋の古形式を見るのは,仏像の安置状況を如実に示した塼仏(せんぶつ)や押出仏(おしだしぶつ)の図様である。正面を三山形に造り,頂上やその左右に宝珠を配し,布製は略して骨組みだけを示すような形であるが,骨組みの先端は蕨手(わらびて)状に造られている。山形を五つ,あるいは九つに造り,上に宝珠を3ないし5,6個配し,先端に垂飾の玉飾をつけるものもある。元来単純なパラソル様のものから,蕨手や吹返し,宝珠に華形の装飾を加味してしだいに華麗な姿に変貌している。法隆寺金堂壁画に見られた仏,諸尊の頭上に描かれた天蓋は,まことに華麗なものであり,奈良国立博物館蔵の《刺繡釈迦説法図》のごときは,実に豪華な華蓋の姿を示している。遺品に見る華形の天蓋は,中心飾として開敷蓮華をおき,その周囲に宝相華などをあしらうのが基本的な形式である。東大寺法華堂の天井にある天蓋は奈良時代の典型であり,東寺の雄大な木彫天蓋は平安時代の逸品である。平等院鳳凰堂の方形天蓋中にある華形天蓋や中尊寺にのこる華形天蓋は,縁に宝相華文を美しく透彫りしたみごとな作例である。
こうした華形のほかにもうひとつ,箱形天蓋と称する方形あるいは長方形の天蓋がある。法隆寺金堂の天井には3基これが懸けられる。蓋屋に当たる部分は寄棟風で,中は化粧屋根裏風である。四周に吹返しをつけ,また垂飾として布幕を象る板に,魚鱗状文様,鋸歯状文様を彫り,これに彩色して垂飾の玉飾をつける。吹返し上に透彫光背付きの楽天,その下に鳳凰などいずれも木彫彩色のものを飾る。この方形の天蓋こそは現存最古のものである。法隆寺東院伝法堂には3組の乾漆阿弥陀三尊像が安置されているが,この上に長方形の簡素な形の天蓋が上がっている。天蓋の古制を知る上で忘れてならない貴重な作例である。この方形天蓋の形式を継承するものに,平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像の上方に懸けられる天蓋がある。藤原時代の豪華絢爛(けんらん)たる作品であるが,内部天井は小組格天井(ごうてんじよう)で支輪をつけ,また四周に宝相華を彫った吹返し,また宝相華をみごとに透彫りした垂板があり,その意匠の秀抜さは他に類を見ない。天蓋は元来日傘のようなものであるから布製で造り,携帯にも軽く便利なものであったはずで,布裂をもって骨組みに貼ったものが古制であろう。現に布裂を貼ったものも存在するが,古いものはみな朽ち,中心の宝珠や華芯飾の木製品などが現存する。室町時代以降のものはときどき見られる。現存の仏殿に見る天蓋はすべて木製,漆箔あるいは彩色のものである。これは恒久性をめざして木製としたものである。
天蓋には仏像の上にかざすもの,すなわち仏天蓋のほかに,人天蓋(にんてんがい)といって法要時に礼盤(らいばん)上に座す導師の頭上にかざされる天蓋がある。これには方形のものから六角,八角のものなどがあり,いずれも木製,漆箔仕上げのものが多い。人天蓋の古い作例はなく,この使用が歴史的に浅いことが知られる。また華蓋,宝蓋と称され,仏天蓋と趣も異なるもので,形としては箱形天蓋に近いものをもっている。
→荘厳具 →仏像
執筆者:光森 正士
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天に懸(か)けられた蓋(がい)の意で、仏像や導師の上にかざす装飾的な覆いをいう。古来からインドでは強い日射しを避けるため、貴人の外出にはつねに傘蓋(さんがい)で覆う習慣があり、これが仏教の荘厳具(しょうごんぐ)として用いられるに至ったとみられる。初期経文には、宝華(ほうげ)や光明(こうみょう)が化して蓋となると説き、仏の白毫(びゃくごう)が七宝の大蓋と化して天を覆ったと記されている。蓮華(れんげ)をかたどる天蓋は古いものに多く、インドの無仏像時代から中国に至るまで数多く存在するが、のちに、しだいに方形、六角、八角、円形などで表現されてくる。その多くは蓋の周辺に宝散を垂れ、片隅に幡(ばん)を懸け、華、宝綱、宝珠、瓔珞(ようらく)、鈴などで飾ったものや、天人、霊鳥などを彫刻したものがある。日本に現存する有名なものに平等院鳳凰堂(ほうおうどう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)天蓋、東寺(教王護国寺)の不動明王坐像の蓮弁(れんべん)木造天蓋(ともに国宝)、法隆寺金堂の釈迦(しゃか)三尊像や阿弥陀三尊像、薬師如来像の木造天蓋(いずれも国宝)などがある。後世、寺院の礼盤(らいばん)の天井にもこれを懸け、阿闍梨(あじゃり)を覆う人天蓋と、諸尊を覆う仏天蓋とを区別している。
[江口正尊]
西洋美術にみられる天蓋はラテン語のキボリウムciborium、イタリア語のバルダッキーノbaldacchinoの訳語で、一般に4本の柱で支えられた屋根状のものをさす。キボリウムの語源がギリシア語で「エジプトの睡蓮(すいれん)の実」を意味するキボリオンにあり、一方バルダッキーノの語源はバグダード産の錦(にしき)や金襴(きんらん)の意であるように、古代においては宇宙の象徴として絶対者たる神や王の玉座を飾るものであり、それにふさわしい装飾が施された。キリスト教においてもその伝統を受け継ぎ、祭壇のみならず、聖堂内の説教壇や玉座、司教座、彫像などの覆いも天蓋とよばれ、素材も高価な木材、大理石、金属、布と多岐にわたり、彫刻や工芸で飾られた重厚なものが多い。そのもっとも豪華な作例は、17世紀につくられたベルニーニ設計のサン・ピエトロ大聖堂の天蓋である。
また広義には建造物のファサードなどにみられる庇(ひさし)や天蓋付きベッドなど、世俗の家具に用いられるものも含まれる。英語のカノピーcanopyも天蓋と訳されるが、バルダッキーノよりもっと意味が広く、簡易なものや仮設的なものにも用いる。
[名取四郎]
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…薦僧を虚無僧と表すようになったのは,世は虚仮で実体がないと観じ心を虚にするという考え方によるとか,また覚心の一系に虚無と称する者がでて服装や吹曲を整え形式を確立したことによるなど諸説がある。様相は,はじめ普通の編笠をかぶり,白衣を着ていたが,江戸時代には天蓋(てんがい)と称する筒形の深編笠をかぶり,黒衣に絡子(らくす)をかけ,丸ぐけ帯をしめ,手甲(てつこう),脚絆(きやはん)をつけ,下駄をはき,木太刀をもつ伊達(だて)姿となっている。また虚無僧の普化宗は,金先(靳詮)派,活総(火下)派,小笹(司祖)派,小菊(夏漂)派など諸派を形成し,それら諸派のうち七派だけでも幕末に92ヵ寺を数え,下総の一月寺と武蔵の鈴法寺および京都明暗寺が普化宗本寺触頭として統轄した。…
…寝室が設けられていなかった中世前期の住宅では,すき間風を防ぐためにカーテンが天井からつるされて,領主やその夫人の,さらには側近たちのベッドを囲うようになった。14世紀初期には天井からのごみやちりを防ぐために,ベッドの上に天蓋を付けるようになった。しかし,この天蓋付ベッドが上流階級の邸館で一般に普及するのは15世紀以後である。…
…それも上記のように場合によって異なるなど,さまざまな展開を示した。
[荘厳具]
こうした仏教の諸尊像は,身につける物のほかに,像の背後にあってそれを飾る光背,像の下にあってこれを保持する台座,像の上に懸けられる天蓋などの荘厳具(しようごんぐ)を持つのが普通である。光背は,仏像発生の初期には,仏の発する光明を具象化する意味で,仏像の頭部の背後に付せられた円形のみであったが,だんだん複雑,華麗な形式をつくり出すようになり,日本の場合,多く頭部,体部それぞれの背後に円相が当てられ(二重円相),その基部に光脚,周縁に火焰や唐草などの文様帯をあしらった二重円相光が基本とされるようになった。…
※「天蓋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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