精選版 日本国語大辞典 「高野神社」の意味・読み・例文・類語 たかの‐じんじゃ【高野神社】 岡山県津山市二宮にある神社。旧県社。祭神は神武天皇の父、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を主神に、大己貴命(おおなむちのみこと)、鏡作命を配祀する。安閑天皇二年の開創と伝えられる。美作国の二の宮。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「高野神社」の解説 高野神社たかのじんじや 岡山県:津山市旧苫田郡地区二宮村高野神社[現在地名]津山市二宮津山城跡から西方約五キロ、宇那提(うなで)森とよばれる森の中に鎮座。美作国二宮。一宮中山(なかやま)神社と総社(そうじや)と並んで当国三大社の一つとされる。旧県社。「延喜式」神名帳は「美作国苫東郡二座」として、中山神社と高野神社を載せる。だがいま当社鎮座の二宮の地は、中世には苫西(とまにし)郡神戸(じんご)郷のうちである。したがって神名帳の苫東郡鎮座の記事を重視すると、もと「和名抄」の苫東郡高野郷のうち、現在津山市高野本郷(たかのほんごう)に鎮座する同じ社名の高野神社が神名帳でいう高野神社という説も成立する。だが、遅くとも平安後期から美作国二宮として栄えた当社を延喜式内社に比定する説も多い。「今昔物語集」巻二六に「今昔、美作国ニ中参(ちうさん)・高野ト申神在マス。其神ノ体ハ、中参ハ猿、高野ハ蛇ニテゾ在マシケル」とあり、同様の説話は「宇治拾遺物語」にもみえる。後者には「かうや」と仮名で記され、永万文書には高屋と記されているので、「今昔物語集」の「高野ト申神」も「かうや」と読むべきである。この二書に記された高野神社は、一宮の中山神社と並記されていること、苫東郡の高野神社には蛇にまつわる伝承がないが、当社にはその伝承があり、かつ裏山に蛇塚と称する古墳があることなどから、苫東郡の高野神社ではなく、二宮として崇信された当社であると推定される。 高野神社たかのじんじや 滋賀県:栗太郡栗東町小坂村高野神社[現在地名]栗東町高野野洲(やす)川南岸沿いに鎮座。祭神大名草彦(おおなぐさひこ)命。旧郷社。境内摂社は二宮の敏鎌(とぎかま)神社、三宮の八重釜(やえがま)神社。「延喜式」神名帳の栗太(くりた)郡「高野(タカノノ)神社」に比定される。社伝によると大同元年(八〇六)大嘗祭のとき悠紀に選定され、当地より新穀を献納したことから由岐志呂(ゆきしろ)宮とも称した。仁寿元年(八五一)神階正六位上を与えられたのをはじめ、貞観一三年(八七一)・康治二年(一一四三)・正応三年(一二九〇)と神階を授位されたという。 高野神社たかのじんじや 佐賀県:多久市下多久村高野神社[現在地名]多久市南多久町下多久字馬場前方に牛津川が流れ、後方に坊(ぼう)山を控える。祭神は丹生都比売命・暗雄霊神。ほかに境内合祀社一三がある。旧郷社。建久四年(一一九三)多久太郎宗直が多久下向に際し、紀州丹生都比売(にぶつひめ)神社の分霊を奉じ、当地に社殿を建立し、多久庄の宗廟と仰ぎ、高野神社と称したが、その後、多久宗直の霊、暗雄霊神を配祀した。大宰少弐資元がこの地を管すると社殿を再建してますます崇敬したが、天正年間(一五七三―九二)兵火にかかり社殿・神宝・文書をことごとく焼失したので、同二年領主となった竜造寺長信が社殿を再築し、旧に復した。 高野神社たかのじんじや 鳥取県:岩美郡岩美町延興寺村高野神社[現在地名]岩美町延興寺延興寺(えんごうじ)集落の北に近接する山麓に鎮座。旧村社。祭神は瓊瓊杵命ほか四柱。「延喜式」神名帳に載る巨濃(この)郡九座のうち「高野(タカノヽ)神社」に比定される。同社は「和名抄」高山寺本に載る巨濃郡高野郷(東急本では法美郡)とのかかわりが深いと考えられる。承暦四年(一〇八〇)六月一〇日の神祇官奏(朝野群載)には「高野神」の名がみえる。「因幡志」は前掲式内社に岩常(いわつね)村の高野坂(たかんさか)(古代高野郷の遺称地に比定)から南北朝時代に延興寺村に遷座したという鐘撞(かねつき)大明神を比定している。鐘撞大明神は当社の前身で、「因幡民談記」によれば小田(おだ)川流域の高住(たかずみ)・長郷(ちようごう)・池谷(いけだに)・延興寺・外(との)・小田大谷(おだおおたに)の六ヵ村の産土神であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by