デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高麗左衛門」の解説
高麗左衛門(初代) こうらいざえもん
宣祖19年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)焼の祖李勺光(り-しゃくこう)の弟。朝鮮王朝(李朝)の陶工で,慶長の役の際,日本につれてこられ毛利輝元(てるもと)にしたがう。萩城外の松本に窯をひらく。毛利秀就(ひでなり)から高麗左衛門の名をもらい,以後代々襲名。日本名は坂本助八,のち坂と改姓。寛永20年2月21日死去。58歳。
高麗左衛門(8代) こうらいざえもん
寛政8年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)焼坂家8代をつぐ。文政9年萩藩主毛利斉元(なりもと)の命により大坂にいき,また京都の有栖川宮(ありすがわのみや)に製陶の技術を披露した。明治10年3月13日死去。82歳。名は忠陶。通称は新兵衛。号は翫土斎(がんどさい),松翁。
高麗左衛門(11代) こうらいざえもん
明治45年4月26日生まれ。昭和23年10代高麗左衛門の次女と結婚。33年萩焼坂家11代をつぐ。46年日本工芸会正会員。50年山口県指定無形文化財。昭和56年1月13日死去。68歳。山口県出身。帝国美術学校(現武蔵野美大)卒。本名は坂信夫。
高麗左衛門(3代) こうらいざえもん
慶安元年生まれ。萩焼(はぎやき)坂家の3代目。狩りが得意で,萩藩主毛利吉就(よしなり)のお供をよくしたという。享保(きょうほう)14年9月29日死去。82歳。長門(ながと)(山口県)出身。名は忠順。通称は新兵衛。
高麗左衛門(9代) こうらいざえもん
嘉永(かえい)2年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)焼坂家9代をついだ。大正10年8月17日死去。73歳。名は道輔(みちすけ)。
高麗左衛門(2代) こうらいざえもん
元和(げんな)3年生まれ。初代高麗左衛門の子で,坂助八と称した。寛文8年5月11日死去。52歳。長門(ながと)(山口県)出身。
高麗左衛門(4代) こうらいざえもん
天和(てんな)3年生まれ。萩焼(はぎやき)坂家の4代目で,坂新兵衛と称した。寛延元年11月7日死去。66歳。