日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿央」の意味・わかりやすい解説
鹿央
かおう
熊本県北西部、鹿本(かもと)郡にあった旧町名(鹿央町(まち))。現在は山鹿市(やまがし)の南端部を占める。旧鹿央町は1965年(昭和40)町制施行。2005年(平成17)山鹿市に合併。旧町域の地形は、西から南にかけて花崗(かこう)岩類、三波川(さんばがわ)変成岩、安山岩類と連なる開析の進んだ低山性の米野(めの)山地と、北から東にかけて広がる沖積低地、段丘礫層(れきそう)台地からなる菊鹿(きくか)盆地とに大別される。台地端部には、県下最大級の前方後円墳岩原双子塚古墳(いわばるふたごづかこふん)(国指定史跡)があり、開発の古さを示している。第二次世界大戦前までは、低地では「肥後(ひご)農法」に裏打ちされた質、量ともに優秀な水稲栽培が、台地では麦、大豆、アズキ、アワ、クワなどの栽培が、また山地ではスギ、タケ、クワなどのほか焼畑によるコウゾ、ミツマタ、ソバなどの栽培が、それぞれ一般的であった。戦後は低地では葉タバコ、プリンスメロンの栽培が、台地では結球ハクサイ、スイカ、ブドウの栽培が、山地ではミカン、クリの栽培が、それぞれ卓越するようになった。民俗行事である「観音祭」や、子供らが石を供える「バアサランダ」などが残っている。
[山口守人]