日本大百科全書(ニッポニカ) 「麻生太郎内閣」の意味・わかりやすい解説
麻生太郎内閣
あそうたろうないかく
(2008.9.24~2009.9.16 平成20~21)
2008年(平成20)9月に成立した自由民主党(自民党)と公明党による連立内閣。福田康夫内閣の支持率が低迷し解散総選挙に踏み切れないなかで、同年9月に福田首相が突如退陣を表明したため、麻生太郎が後継総裁に選ばれた。国会での首班指名にあたっては、衆議院では麻生が内閣総理大臣に指名されたが、与野党が逆転した参議院では民主党代表小沢一郎が指名され、憲法の規定により衆議院の議決に基づき麻生が第92代内閣総理大臣に就任した。これは前年の福田首相に続き5回目のこと。組閣では前内閣から5人を再任したほかは12人を新たに入閣させた。総裁選で争った石破茂(いしばしげる)(1957― )を農林水産大臣に、与謝野馨(よさのかおる)(1938―2017)を経済財政担当大臣として入閣させて挙党態勢をアピールする一方で、小渕優子(おぶちゆうこ)(1973― )衆議院議員を戦後最年少の34歳で少子化担当大臣に任命した。再任された消費者行政担当大臣野田聖子(1960― )とともに総選挙を意識した起用といわれた。また積極財政論者の元政務調査会長中川昭一(1953―2009)を財務兼金融大臣に起用した点は、従来の財・金分離の方針を変更するとともに小泉政権の構造改革路線を変更するものと理解された。内閣発足直後、国土交通大臣中山成彬(なりあき)(1943― )が舌禍により就任わずか5日で辞任し、さらに2009年2月には中川財務兼金融大臣がローマでのG7財務相・中央銀行総裁会議の記者会見を酩酊(めいてい)状態で行って辞任に追い込まれ、6月には日本郵政社長西川善文(よしふみ)(1938―2020)の続投決定に反発して総務大臣鳩山邦夫(はとやまくにお)(1948―2016)が辞任した。また閣僚の政治献金問題が相次いで発覚し、また社会保険庁による年金記録の改ざん問題がさらに広がるなど前途多難な門出であった。このため内閣支持率は1年前の福田内閣発足時を下回ってスタートし、加えてアメリカで起こった株価暴落などに始まる金融不安、経済不安のなかで、麻生人気を利用した早期の解散総選挙戦略は修正を余儀なくされた。臨時国会では総選挙を意識して民主党との対決姿勢を強調する一方で、経済情勢悪化への対策として補正予算案を成立させ、インド洋での自衛隊による給油活動継続のための新テロ特措法(テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法)の1年延長を衆議院での再議決で成立させた。内閣支持率が低迷するなか、自民党内では「麻生降ろし」の動きもあったが、2009年7月13日に同月21日の衆議院解散と8月30日の投開票を行うことを異例の「解散予告」という形で発表し、政権交代を最大の争点とする総選挙に突入した。総選挙での自民党の歴史的敗北を受け、9月16日特別国会の召集にあたり内閣総辞職を行った。
[伊藤 悟]