日本大百科全書(ニッポニカ) 「福田康夫内閣」の意味・わかりやすい解説
福田康夫内閣
ふくだやすおないかく
(2007.9.26~2008.9.24 平成19~20)
2007年(平成19)9月に成立した自由民主党(自民党)と公明党による連立内閣。同年7月の参議院議員選挙で自民党が歴史的敗北を喫し、その後も政権維持を表明していた安倍晋三(あべしんぞう)首相が、9月の臨時国会冒頭に突如辞意を表明したため、自民党総裁選が行われ、福田康夫が後継総裁に選ばれた。国会での首班指名にあたっては、衆議院では福田康夫が内閣総理大臣に指名されたが、与野党が逆転した参議院では民主党代表小沢一郎が指名され、憲法の規定により衆議院の議決に基づき福田が第91代内閣総理大臣に就任した。これは1998年(平成10)の小渕恵三(おぶちけいぞう)首相以来9年ぶり4回目のこと。組閣では、福田首相が属していた派閥の領袖(りょうしゅう)である町村信孝(まちむらのぶたか)(1944―2015)前外務大臣を官房長官に、高村正彦(こうむらまさひこ)(1942― )前防衛大臣を外務大臣に横滑りさせたことを含め、安倍前内閣の閣僚15人を閣内に残し、新任は2名にとどめた。また官房副長官と首相補佐官も留任となった。派閥の領袖を主要ポストに起用した自民党役員人事とあわせて、党内実力者を起用し、まずは自民党内の挙党体制を構築し党の危機を乗り切ろうとする考えに基づく政権、との評価が大半を占めた。事実、組閣後に福田首相は自らの内閣を「背水の陣内閣」と位置づけるとともに、記者会見で「政治不信の解消」と「野党との協議」を強調し、強行採決を繰り返した安倍前内閣との違いを際だたせた。参議院議員選挙での歴史的敗北を受け、「政治と金」の問題の解決、小泉純一郎・第一次安倍晋三両内閣で進行した社会的格差拡大の是正対策、対北朝鮮への強硬姿勢からの転換、などを内閣の課題とした。当初の最重要課題として、テロ対策特別措置法に基づくインド洋での海上自衛隊による給油活動の継続のため、新法成立を目ざして民主党などとの協議を呼びかけたが不調に終わった。結局2008年1月、新法にあたる補給支援特別措置法を参議院で否決された後、衆議院で3分の2以上の賛成により再可決し、成立させた。2008年6月の通常国会参議院本会議で首相問責決議案が可決され、衆議院での内閣信任決議案の可決で退陣は免れたが、求心力の低下は明らかであった。7月には地球規模の環境問題への対応を主要テーマの一つとする北海道洞爺湖(とうやこ)サミットを開催し、8月には内閣改造を行い、「安心実現内閣」と命名し政策の実現を目ざした。しかし内閣支持率が低迷するなか、結局解散総選挙に踏み切れないまま、9月1日に福田首相は辞任を表明し、9月24日総辞職した。
[伊藤 悟]