出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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黄檗派
おうばくは
江戸時代初期,日本で黄檗宗を開いた隠元隆琦をはじめとする明からの渡来僧たちによってもたらされ,日本で拡大・発展した中国風美術。江戸幕府に保護され,長崎,京都,江戸を中心に書,絵画,彫刻,建築のほか,音楽,茶道など幅広い分野で展開した。逸然性融,隠元ら多くの渡来僧はいずれも書画をよくし,作品は黄檗物として当時の人々に珍重された。絵画は茶事の作法として南宗画風の小品が描かれ,彼らについて学ぶ者たちは長崎派の一派を形成した。また黄檗宗では頂相(ちんぞう)が重視され,喜多元規らが僧の肖像画多数を残した。書は隠元,木庵性瑫,即非如一が「黄檗の三筆」と呼ばれ,当時の唐様書道界に大きな影響を与えた。同時に彼らは日本における新仏教の一派として仏寺建築も手がけ,長崎の崇福寺,宇治の萬福寺などを建立。これらは異国趣味豊かな建築として日本建築史上特異な地位を占めている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の黄檗派の言及
【長崎派】より
…それらはほぼ次のような流派に大別される。(1)黄檗(おうばく)派は,黄檗宗の中国僧によって伝えられた写実的な高僧肖像画を学び,喜多元規らの肖像画家を生んだ([黄檗美術])。(2)漢画派は,1644年(正保1)に来朝した黄檗僧逸然(1600か01‐68)を祖とし,河村若芝(1629か38‐1707),渡辺秀石(1639‐1707)らが謹厳な北宗画風の絵を描き,秀石は唐絵目利職につくなど,長崎派の主流となった。…
※「黄檗派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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