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鼻山人 はなさんじん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鼻山人
はなさんじん

[生]寛政2(1790).江戸
[没]安政5(1858).3.25. 江戸
江戸時代後期の人情本洒落本作者。本名,細川浪次郎。別号,東里山人。幕府御家人山東京伝の門人。狂歌,俳諧を好み,文化4 (1807) 年以後,合巻 (ごうかん) ,洒落本滑稽本人情本などを書き,人情本では代表作者の一人とされたが,時代おくれの通人意識が災いして,成功しなかった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鼻山人 びさんじん

はなさんじん

鼻山人 はなさんじん

1791-1858 江戸時代後期の戯作(げさく)者。
寛政3年生まれ。幕府の与力。山東京伝(さんとう-きょうでん)の門人となり,洒落(しゃれ)本,人情本を多数発表。為永春水(ためなが-しゅんすい)とともに活躍したが,春水にはおよばなかった。安政5年3月25日死去。68歳。姓は細川。通称は浪次郎。別号に東里山人(とうりさんじん),九陽亭など。代表作に洒落本「籬(まがき)の花」,人情本「風俗粋好伝(すいこでん)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鼻山人

没年:安政5.3.25(1858.5.8)
生年:寛政3(1791)
江戸後期の戯作者。通称を細川浪次郎,別号を東里山人という。江戸麻布三軒家住の幕府与力といわれるが,文化初年(1804年頃)に山東京伝の門人となり,「京伝鼻」の花押を用いて鼻山人と号した。末期洒落本から人情本をつなぐ作者の代表的なひとりである。その作風は時好を取り入れることに急なあまりに,欲張って洒落本の通人趣味,人情本の情調,読本・合巻の伝奇性を混在させるが,全体を通じて勧善懲悪の意と因果応報の理法が流れている。晩年は落ちぶれて御家人の籍をはなれ,手品のたねを伝授して生活したといわれるが,詳しいことはわからない。<参考文献>神保五弥『為永春水の研究』

(中野三敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

はなさんじん【鼻山人】

1790‐1858(寛政2‐安政5)
江戸後期の洒落本,人情本作者。本名細川浪次郎。読本,滑稽本,合巻では東里山人(とうりさんじん)と号する。幕府の与力であったが,山東京伝に師事し,《籬(まがき)の花》(1817),《花街鑑(さとかがみ)》(1822)などで洒落本の掉尾(とうび)を飾り,《玉散袖(たまちるそで)》(1821),《風俗粋好伝》(1825),《廓雑談(くるわぞうだん)》(1826)などで,2世南仙笑楚満人とともに人情本のジャンルを確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鼻山人
はなさんじん
(1791―1858)

江戸後期の戯作(げさく)者。東里山人(とうりさんじん)、九陽亭(くようてい)とも号す。もと細川浪次郎(なみじろう)と称した幕府の与力(よりき)で、山東京伝の門人となり、戯作者となった。1807年(文化4)刊の合巻(ごうかん)『髑(しゃれ)た新形(しんがた)』が処女作で、合巻約70部、滑稽本(こっけいぼん)、読本(よみほん)の作もあるが、本領は洒落本(しゃれぼん)、人情本で、1817年刊の『青楼籬(まがき)の花』など、洒落本の掉尾(とうび)を飾る作品を発表するとともに、文政(ぶんせい)(1818~30)に入っては2世南仙笑楚満人(なんせんしょうそまひと)(為永春水(ためながしゅんすい))とともに人情本作者として活躍するが、天保(てんぽう)(1830~44)に入っては懐古趣味、通人的姿勢に支えられた作風から、結局は春水に及ばなかった。人情本の代表作は『蘭蝶(らんちょう)記』(1824)、『廓雑談(くるわぞうだん)』(1826)、『合世鏡(あわせかがみ)』(1834)などである。晩年は落魄(らくはく)して手品の種本を売って生活したという。[神保五彌]
『神保五彌著『鼻山人』(『為永春水の研究』所収・1964・白日社)』

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世界大百科事典内の鼻山人の言及

【人情本】より

…人情本の源流の一つは,式亭三馬,梅暮里谷峨(うめぼりこくが)らが,寛政の改革以降に著した物語性に富む連作洒落本(しやれぼん)に求められるが,それとともに読本(よみほん)を通俗化し,講釈などの話芸をとりいれた中型読本と呼ばれる大衆読み物からの転化が考えられる。前者の系譜を引くのは《娼妓美談(けいせいびだん) 籬の花(まがきのはな)》(1817)など,末期洒落本作者として出発した鼻山人であり,後者の中型読本から市井の男女の情話を描く人情本様式への転回を告げたのは,新内の名作《明烏(あけがらす)》の後日談として書かれた,2世南仙笑楚満人(なんせんしようそまひと)(為永春水)・滝亭鯉丈(りゆうていりじよう)合作《明烏後正夢(のちのまさゆめ)》(1819‐24)と素人作者の写本《江戸紫》を粉本とした十返舎一九の《清談峯初花(せいだんみねのはつはな)》(1819‐21)であった。 《明烏後正夢》で戯作(げさく)文壇に登場した2世楚満人は,その後,狂言作者2世瀬川如皐(じよこう)や筆耕松亭金水(しようていきんすい)らの助力を得て,二十数部の人情本を出版するが,いずれも未熟な習作で世評もかんばしくなかった。…

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