佐藤 藤佐(読み)サトウ トウスケ

20世紀日本人名事典 「佐藤 藤佐」の解説

佐藤 藤佐
サトウ トウスケ

大正・昭和期の弁護士 秋田経済大学名誉教授;元・検事総長



生年
明治27(1894)年1月7日

没年
昭和60(1985)年8月29日

出生地
秋田県

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔大正10年〕卒

経歴
大正10年、司法官試補となり、東京地裁所長などを経て戦後は司法省刑事局長、司法次官、法務行政長官、刑政長官を歴任。25年から7年間、戦後4代目の検事総長を務めた。この間、造船疑獄メーデー事件の搜査を指揮したが、29年に東京地検特搜部が摘発した造船疑獄の搜査では、当時の佐藤栄作自民党幹事長の逮捕をめぐって犬養健法相が指揮権を発動、佐藤幹事長の逮捕をストップされている。32年退官し、秋田経済大学長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤 藤佐」の解説

佐藤藤佐(1) さとう-とうすけ

1775-1848 江戸時代後期の理財家
安永4年生まれ。佐藤泰然(たいぜん)の父。出羽(でわ)飽海(あくみ)郡(山形県)升川村の人。江戸で旗本の伊奈家などにつかえて諸家の財政をたてなおし,矢部定謙(さだのり)にみとめられる。天保(てんぽう)11年鶴岡藩主酒井忠器(ただかた)が転封(てんぽう)を命じられたとき,幕府中枢にその不当性をうったえた。嘉永(かえい)元年死去。74歳。

佐藤藤佐(2) さとう-とうすけ

1894-1985 大正-昭和時代司法官
明治27年1月7日生まれ。東京地裁判事,司法省刑事局長などをへて,昭和25年検事総長。29年の造船疑獄事件では,犬養健(いぬかい-たける)法相の指揮権発動にあって自由党幹事長佐藤栄作の逮捕にはいたらなかった。のち秋田経済大学長。昭和60年8月29日死去。91歳。秋田県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐藤 藤佐」の解説

佐藤 藤佐 (さとう とうすけ)

生年月日:1894年1月7日
大正時代;昭和時代の弁護士;司法官。秋田経済大学教授;検事総長
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

選挙公営

国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...

選挙公営の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android