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犬養健 いぬかい たける

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美術人名辞典の解説

犬養健

政治家・小説家。東京生。父は犬養毅。東大中退。作家として活動した後、衆議院議員日本民主党総裁となる。自由党に入党し、吉田内閣法務大臣を務めた。昭和35年(1960)歿、64才。

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デジタル大辞泉の解説

いぬかい‐たける〔いぬかひ‐〕【犬養健】

[1896~1960]政治家。東京の生まれ。毅(つよし)の子。はじめ白樺派の小説家として活躍。第二次大戦後は第四次・五次吉田内閣の法相を務め、造船疑獄事件で指揮権を発動。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

犬養健 いぬかい-たける

1896-1960 大正-昭和時代の小説家,政治家。
明治29年7月28日生まれ。犬養毅(つよし)の次男。白樺(しらかば)派の作家として活動ののち,昭和5年衆議院議員(当選11回)。日中戦争で和平工作をおこなう。戦後,民主党総裁などをへて,自由党にはいる。29年吉田内閣の法相として指揮権を発動,造船疑獄事件渦中の佐藤栄作幹事長の逮捕を阻止した。昭和35年8月28日死去。64歳。東京出身。東京帝大中退。著作に「一つの時代」「揚子江は今も流れている」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

いぬかいたける【犬養健】

1896‐1960(明治29‐昭和35)
昭和期の政治家。東京に生まれる。犬養毅の長男。学習院高等科卒業,東京帝大哲学科中退。白樺派の小説家として創作集《《南京六月祭》》などを出す。父毅の政友会総裁就任を機に政界入り。1930年(昭和5),岡山2区から衆議院初当選。犬養内閣成立とともに首相秘書官。第1次近衛文麿内閣逓信参与官。日中戦争期,汪兆銘政権樹立に尽力し,南京政府顧問となる。ゾルゲ事件で起訴されるが無罪。敗戦後,日本進歩党結成に加わり総務会長。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

犬養健
いぬかいたける

[生]1896.7.28. 東京
[没]1960.8.28. 東京
政治家。首相犬養毅の二男。学習院高等科から東京帝国大学文学部に入り,中退。白樺派(→白樺)の作家として世に出る。1930年,立憲政友会の衆議院議員となり,父毅の首相就任に伴い首相秘書官となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

犬養健
いぬかいたける
(1896―1960)

政治家。犬養毅(つよし)の実子として東京に生まれる。学習院高等科卒業、東京帝国大学哲学科中退。学生時代に白樺(しらかば)派の影響を受ける。『一つの時代』『南京(ナンキン)六月祭』などの創作集を出す。1930年(昭和5)政友会から立候補し当選、以来2選。1931年父、毅の首相就任に伴い首相秘書官。日中戦争期は汪兆銘(おうちょうめい/ワンチャオミン)政権樹立に尽力。1941年ゾルゲ事件で検挙されたが無罪となる。敗戦後、進歩党結成に参加、同党総務会長、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の外務政務次官を務める。1947年(昭和22)公職追放、翌1948年解除され、同年12月昭電疑獄事件で芦田均(あしだひとし)逮捕の後を受け民主党総裁となる。1949年保守連携を推進するが民主党分裂をきたした。1951年自由党に入党、第四次、第五次吉田茂内閣の法相を務め、1954年造船疑獄をめぐり指揮権を発動し、その責を負って辞任。著書に『揚子江(ようすこう)は今も流れている』がある。[小田部雄次]

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世界大百科事典内の犬養健の言及

【造船疑獄】より

…また飯野海運,日立造船,新日本海運,中野汽船,東西海運などの8海運会社があいついで手入れを受け,4月には日本船主協会,日本造船工業会の各幹部,自由党本部会計責任者が逮捕された。さらに最高検察庁は4月20日,佐藤栄作(自由党幹事長)の収賄(船主協会,造船工業会から各1000万円,未届など)による逮捕許諾請求を決定したが,翌21日,犬養健法相は吉田茂首相の意向を受けて検察庁法14条により指揮権を発動し(指揮権発動),佐藤の逮捕延期と任意捜査を指示した(犬養は翌日辞任)。このため捜査は〈政治のカベ〉に阻まれて事実上の中断を余儀なくされ,7月30日に終了したが,事件とその真相を隠ぺいした指揮権発動は吉田内閣の屋台骨を揺るがし,12月7日の総辞職へと追い込まれていった。…

【ゾルゲ事件】より

…彼らの情報はきわめて確度が高く,とくに41年6月の独ソ開戦の予知や9月の太平洋戦争開戦に関する御前会議決定の通報などに顕著な成果をあげた。事件は,伊藤律が北林トモを密告したことから発覚し(《特高月報》1942年8月分),9月28日に北林,10月15日に尾崎,18日にゾルゲらが逮捕され,42年6月8日までに諜報機関員と犬養健,西園寺公一(きんかず)らの情報提供者合計35名が逮捕された。そのうちの18名が治安維持法,国防保安法,軍機保護法などの違反容疑で起訴され,ゾルゲと尾崎が死刑,2名が無期懲役のほか全員有罪の判決をうけたが,西園寺は執行猶予,犬養は上告審で無罪となった。…

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